焼火神社(隠岐島前の航海の安全を守った神社)

●焼火神社(たくひじんじゃ)
住所:島根県隠岐郡西ノ島町美田
駐車場:あり

 祭神は大日霊貴尊(天照大神)で水運の神として崇敬されており、時化(しけ)の際に祈願すると神の導きの光明によって救われるという伝承がある。標高452メートルの焼火山の中腹に建つ。創建年代は西暦1100年頃と伝わり、山全体が信仰の対象だった。隠岐諸島の島前で焼火山が最高峰だったことから、かつては神社の灯を目印として航海や漁が行われている。
 天文9(1540)年に造営を行った。永禄6(1563)年、隠岐幸清が尼子義久の勝利や好まざる者が隠岐に来た際は逆波を受け災難に遭うことなどを祈願して二箇所の田地を寄進している。近世に入ると何度も造営が行われ、焼火山の存在は東北地方にまで知られた。
 近世まで焼火山権現・焼火権現・焼火山雲上寺と称し修験霊場だったが、明治時代になると焼火神社に改称している。
 7月23日の例大祭では隠岐島前神楽(島根県指定無形民俗文化財)が奉納される。本殿・通殿・拝殿及び棟札7枚は国指定重要文化財に指定されている。

(遊歩道(参道)の入口。ここまで車で上がることができる。ここで外国の方向けのツアーガイドが説明をされていた)
遊歩道の入口

(鳥居)
鳥居

(狛犬)
狛犬

(遊歩道沿いにあった神社。何を祀っているのか不明だった)
神社

(石垣と社務所。現在は不在らしい)
石垣と社務所

石垣と社務所

(社殿。扁額は寺だった頃の名残か。拝殿と本殿の向きが違うのも同じく名残だろう)
社殿

社殿

(岩をくり抜いて建てたような本殿は迫力がある。一見の価値あり)
本殿

本殿

(社叢)
社叢

(遭難した船の乗組員の供養碑。日本海を望める場所に建っている)
供養碑

(境内から日本海を望む)
日本海を望む

参考文献:島根県の地名、島根県史 第7巻、焼火神社公式サイト西ノ島町観光協会しまね観光ナビ

感想:電動自転車で坂をひたすら登りました。この時ほど電動自転車の有り難みを感じたことはなかったですね。ただ頑張った甲斐があって絶景と見事な社殿が見られました。皆さんも是非、自分の目で見てください。



出雲 稲葉城(観音山城。尼子氏に味方した土豪の城ヵ)

●出雲 稲葉城(観音山城。尼子氏に味方した土豪の城ヵ)
住所:島根県松江市西尾町
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、掘切、竪堀、井戸跡
標高:70メートル/比高:49メートル

 城史は伝わっていない。稲葉城は字名から付けられたため当時の名前は不明である。和久羅城の西に1キロの通称・観音山にある。『岩穴平遺跡・稲葉城跡』には尼子氏に味方した土豪の城だろうとの記載がある。

(入口)
入口

(登ると出てくる曲輪1。場所は下にスクロールすると記載のある概略図を参照)
曲輪1

曲輪1

(曲輪1の西の竪堀)
西の竪堀

(曲輪1の東の竪堀)
東の竪堀

(曲輪1の北側には祠と燈籠の残骸があった。これが祀られていたことから近世以降に観音山と呼ばれるようになったのだろう。石があったが、これも祠に関係したものだろうか)
曲輪1の北側

曲輪1の北側

曲輪1の北側

(曲輪2の南にあるAの土塁)
Aの土塁

(曲輪2には中国電力の鉄塔が建っている。ここが主郭だろう。入口の道も鉄塔の管理のために作られた)
中国電力の鉄塔

中国電力の鉄塔

(曲輪2の奥に進むと土塁Bが残っている)
曲輪2の奥

曲輪2の奥

曲輪2の奥

(曲輪3。櫓台にしては小さいか。井戸もあった)
曲輪3

曲輪3

(曲輪3と曲輪4の間にある掘切C)
掘切C

掘切C

掘切C

(曲輪4。北には土塁Dがあった)
曲輪4

曲輪4

曲輪4

曲輪4

(曲輪4の西側にある尾根。荒れていたので少ししか行っていない)
尾根

(Eの掘切? 竪堀?)
Eの掘切

参考文献:岩穴平遺跡・稲葉城跡、隠岐の山城・続出雲の山城

感想:この道はカーブしていて交通量も多いため歩く際は轢かれないように気をつけましょう。昭和55年、中国電力が鉄塔を建てるにあたって発掘調査をした際、曲輪2から陶磁器、かわらけ、砥石、鉄釘、古銭が発見され、柱穴群、礎石群が見つかったそうです。
 観音山城は私が勝手に付けた名前で誰も呼んでいないです。

(概略図。クリックすると別タブが開きます)
概略図



浄昌山安養寺(尼子家の家臣が開基ヵ)

●浄昌山安養寺
住所:島根県松江市坂本町457
駐車場:あり

 曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。永禄9(1566)年4月、尼子家の家臣・小草弥藤佑が開基したと伝わる。同年11月に月山富田城が開城し尼子義久が毛利元就に降伏したことと関係があるのかは不明。嘉禎2(1236)年の文書に出てくることから東国から来た土屋氏の氏寺として創建されたという説もある。このことから中世以前には創建されており(創建当初は真言宗ヵ)、小草氏は住職を継いだだけであろう。
 寛永年間(1624~44年)に良瑞という旅の僧が堂宇を修復した。現在でも小草氏が住職を務めている。

(入口と参道)
入口と参道

(開山塔と六地蔵)
開山塔と六地蔵

(本堂)
本堂

参考文献:曹洞宗 島根県第二宗務所、松江市史 通史編2 中世、島根県中近世城館跡分布調査報告書

感想:安土山城の城域が安養寺まで広がっていたという説もあり、のちに築城された安土山城が安養寺を包括したのかもしれません。安土山城の城主が小草氏で尼子氏の山陰支配が終わった後に住職となった可能性もありますが、記録が残っておらず不明です。