興徳寺(真柄十郎左衛門直隆の墓)

住所:福井県越前市宮谷町29-21

 時宗。姉川の戦いで活躍した真柄直隆の墓が建つ。

(山門)

(山門の脇に建つ六地蔵)

(不動明王)

(本堂)

(真柄十郎左衛門直隆の墓。姉川の戦いで大太刀を振るって奮闘したという。遺体は家臣が持ち帰り当寺に埋葬した。300回忌の際に子孫が修復している)

(十郎左衛門の墓その2)

感想:本堂の雪囲いをされてた方に「インターネットで宣伝しておいてくれよ」と言われましたので宣伝しておきます。越前市に行かれた際は真柄十郎左衛門所縁の寺・興徳寺、興徳寺をよろしくお願いします! 隣が東運動公園なので車も駐めやすいですよ! 近くにバス停もあります!
 十郎左衛門の周りにあった下駄のオブジェは、本人が大きな下駄を履いていたという伝承から作られたようです。


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小丸城(佐々成政の居城)

住所:福井県越前市五分市町28

 1575年、越前の平定に成功した織田信長から3万石強を与えられた佐々成政は当地に城を築く。築城に際して野々宮廃寺の礎石を用いたという。三の丸跡からは一向一揆の処刑の様子が刻まれた文字瓦が出土している。1581年に成政が越中に移ったため廃城となった。
 現在は小丸山公園となって整備されている。

(もう10年以上前なのかあ・・・)

(本丸に建つ碑)

(僅かに残る石垣)

(本丸の一部)

(本丸全景)

感想:城とはまったく関係がないですが、この辺りには昔、福井鉄道南越線が走っていたらしく、線路跡の看板が妙に印象に残っています。


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剱神社(織田家発祥の地)

住所:福井県丹生郡越前町織田113ー1

 越前二の宮。祭神は素盞嗚尊・氣比大神・忍熊王。仲哀天皇の息子・忍熊王が素盞嗚尊から授かった剱を使い、この辺りにいた賊を退治し、その剱を奉納して建立した祠が当社の始まりと伝わる。
 平安時代の末から鎌倉時代にかけて栄え、室町時代は越前を支配した斯波氏や朝倉氏の保護を受けた。織田家は当社の神官の出と言われ、信長が朝倉氏を滅ぼし越前を支配すると安堵状を出し社殿を整備している。しかし江戸時代になると寺領も減らされ、明治時代の神仏分離令で混乱し現在に至る。

(鳥居)

(1847年に建立された拝殿。後ろに建つ本殿は柿葺き・入母屋風造りで正面に千鳥破風をかけている・・・らしい。横からでも良く見えなかった)

(神木)

(平重盛と織田信長を祀る小松建勲神社)

(織田神社。祭神は保食神・仲哀天皇・応神天皇)

(織田一族発祥地の碑。手前のベンチがかなりやばいことになっている)

(旧神前院護摩堂。劔神社の神宮寺・織田寺の護摩堂として1675年に建立された。護摩祈祷が行われたため堂内は黒く煤けている)

(庚申宮)

(庚申宮の参道にある見猿・聞か猿・言わ猿の三猿)

(剱神社から東に200メートル程行ったところに建つ織田信長像。構図が大友宗麟っぽくないか・・・?)

感想:今回の史跡巡りでここだけ場所が離れていましたが、織田家所縁の寺と言うことで寄ってみました。ご利益がなんでもありなため書くのが面倒でやめました・・・。とにかく行けばなんでも叶うようです。
 ちなみに地名の織田は「おだ」ではなく「おた」と濁らず読みます。


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