総社大神宮(朝倉義景・織田信長所縁の神社)

住所:福井県越前市京町1丁目4ー35

 祭神は大国主神。大化の改新以降、国司は国内の主な神社を参詣することが義務づけられていたが、そのような労力を減らすため各国で総社が建てられるようになった。国府のあった当地にも総社が建てられている。739年、聖武天皇の勅願で大国主神を併せて祀ることになった。
 1290年、一遍の弟子・他阿真教が布教に来た際、神主の肩に総社明神が現れ人々を驚かせたという。応仁の乱の煽りを受けて社殿が焼失し一時衰退したが越前を支配した朝倉義景や織田信長の庇護を受け隆盛した。江戸時代に入ると福井藩の家老・本多家が30石を安堵している。
 現在も毎年9月に総社祭りが催されている。

(一の鳥居)

(二の鳥居。額の字は東郷平八郎によるもの)

(越前国府の碑。政庁のあった場所には諸説あり、ここも候補の一つである)

(蓬莱夫婦松)

(天満宮)

(拝殿。社殿は1926年に再建されている)

感想:参拝した日が七五三と重なったため、二度くらい写真撮影を頼まれました。


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正覚寺(新善光寺城、結城秀康の四男の墓)

住所:福井県越前市京町2丁目1-8

 浄土宗。南北朝時代、越前の守護・斯波高経が南朝方に備えるために新善光寺城を築城した。1336年に新田義貞の攻撃を受けて落城したが、すぐに奪回するものの1338年に再び落とされる。土塁の一部が残る。
 1366年、良如が城の戦没者を弔うために正覚寺を創建する。

(本堂の裏手に残る土塁跡)

(越前府中城の表門を移築した山門。笏谷石の瓦が葺かれた高麗門)

(山門の横に建つ新善光寺城跡の碑)

(本堂)

(墓地の一角に建つ結城秀康の四男・吉松丸の墓所。吉松丸は家老・本多富正の養子となるが夭折してしまう)

感想:写真では分かりづらいですが、本堂がとにかく大きかったです。この辺りは寺社が集中しているため、歩いて寺を散策するのも楽しいかと思います。


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霊泉寺(斯波義敏の墓)

住所:福井県越前市池泉町24ー2

 曹洞宗。越前の守護・斯波義敏が開基した。斯波一族の墓・位牌がある。

(入り口)

(山門)

(木像の大仏が安置されている大仏殿(右奥))

(越前で惨殺されたという伝承がある滝川一益のことを歌った「もののふの ゆかり尋ねて 虫の音の 越路にきたり うたた偲ぶも」という歌碑が刻んである)

(境内)

(斯波義敏の墓。どれが義敏か不明。中央は近年に建てられた供養塔だと思う)

(精肉店の方が建てた畜類の供養塔)

(2009年に建てられた大慈母観世音菩薩)

感想:滝川一益に関する史跡があると聞いたので来てみました。大仏は見るのを忘れました・・・。


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