2012年四国史跡巡り(4日目その1:石手寺)

 2012年5月1日(火)、松山のホテルで8時間ほど寝たが、疲れが完全に取れていないので今日はのんびりと史跡を廻るつもり。ということでここから愛媛県です。

24.石手寺・・・愛媛県松山市石手二丁目9番21号。四国八十八ヶ所霊場・第51番札所。728年、伊予の豪族・越智氏の夢に二十五菩薩が現れたことから熊野権現を勧請して建立。翌年、行基が薬師如来を本尊として開基し『安養寺』と名付けた。八十八箇所巡りのきっかけとなった右衛門三郎の伝説から『石手寺』に改められた。
【右衛門三郎の伝説】:空海がこの地で托鉢をした際、右衛門三郎は断るばかりか鉄鉢を叩き割ってしまう。それから右衛門三郎の子供が次々と亡くなったため、右衛門三郎は空海に許しを請うため旅に出る。20回四国を巡っても会えなかったが、21回目に逆に巡ったところ阿波で出会い、そのまま息を引き取った。その時「本家の河野家に生まれ変わりたい」と願いを聞いた空海は「右衛門三郎再生」と書いた小石を左手に握らせる。
 832年、河野家に男子が生まれるが左手を開こうとしないため、僧が加持したところ左手が開き「右衛門三郎再生」と書いてある石が出てきたという。

感想:河野氏所縁の寺と言うことで来てみました。湯築城跡から歩いていけます。
 ここは像が多く店も建ち並んでおり、なかなか商売っけに溢れたお寺でした。まあ、道後温泉に近いから観光地だよね。

(入り口)

(入り口近くの像。なかなか賑やかしい。他にもいくつか像があった)

(参道。お店が建ち並ぶ)

(国宝・仁王門)

(重文・三重の塔)

(洞窟八十八カ所巡りの中。足元が悪く危険だった)

(本堂)

(大師堂。正岡子規や夏目漱石などが落書きをしたことから『落書き堂』という別名がある)


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高知・愛媛思いつき史跡巡り2011(2日目:伊予松山城・子規堂・秋山兄弟生誕地)

 1月30日(日)、高知市内でゆっくりと朝食を取った後、松山市に移動。

8.伊予松山城・・・愛媛県松山市丸之内1。現存天守が残る城の一つで、門や櫓なども多数現存している。
感想:今回のメインは昨年に出来た加藤嘉明の像。しかし本丸に登った後に像は下のロープウェイ乗り場にあると知った。松山城が文化財の扱いなので城内には建てることが出来なかったらしい。
 前回はそのロープウェイを使ったが、今回は下からじっくりと登ってみた。いい城だねえ・・・。

(二の丸の石垣)

(友達が「坂の上の雲」で主人公達が花火を上げたところじゃないかな、と言っていた。言われてみればそんな気もする)

(筒井門)

(天守。前回、入ったので今回はここで引き返した。よしあき君ってここにいったっけ? 2年半前に来た時は売店の前にいたような気が・・・)

加藤嘉明の像)


9.道後温泉・・・松山市道後湯之町5-6。小説「坊ちゃん」で有名になった名湯。
感想:ここには別の目的があって来た。

(近くの喫茶店から撮った写真)

(このキャラクターのグッズを買いに来たのが目的)

10.子規堂・・・愛媛県松山市末広町16-3。正宗寺内にある。正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を復元して1946年に建てられた。子規の遺品などがある。
感想:寒くて何があったのか覚えていないくらい早々に立ち去った。もう少し暖かければじっくり見たのだが・・・TT

(子規堂)

(夏目漱石の像。首だけって恐いんですけど・・・)

(子規遺髪塔)

 次の場所に移動中している際、見えた伊予松山城。


11.秋山兄弟生誕地・生家・・・松山市歩行町2-3-6。秋山好古・眞之兄弟の生家。秋山家は松山藩の徒目付で松山城からほど近いこの地に家を構えていた。1945年に空襲で焼失したが、2005年に復元された。
感想:加藤嘉明の像のすぐ側だった・・・。気がつかなかった。

 まずは秋山兄弟の一生をDVDで見た後、館内の方に説明を受けた。二人兄弟じゃなかったのね。初めて知った。

(生家)

(秋山好古の像)

(秋山眞之の像)


 本日はこれにて終了。大阪に戻った。
本日の感想:今治市にも行きたかったけど、時間がなかったので断念した。バリィさんグッズは松山市で買えたしね。
 二日間、付き合ってくれたN君、ありがとう! 5年後にまた会いましょう!

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高知・愛媛思いつき史跡巡り2011(1日目後半:久武肥後守の墓・長宗我部一族累代の墓)

5.若宮八幡宮・・・高知市長浜6600。
感想:来るのは5度目くらいかな? 元親の本を出版できたのでお礼参り。

(これが模擬馬防柵だって初めて知った・・・)

(長宗我部元親の像。こんな静かな時に来たのは久しぶりだ・・・。ここに設置してある「元親公への手紙」というノートは「アニキ!」だらけだった。もう「アニキへの手紙」でいいんじゃないかな)

(拝殿)


6.久武肥後守の墓・・・高知市西久万。久万墓地公園内にある。肥後守は久武親信・親直の父。
感想:山中を探し回らないといけないと思っていたら、整備された墓地の中にあって一安心。


7.長宗我部一族累代の墓・・・南国市岡豊町八幡。
感想:昭和の時代の写真を見ると、上段の墓に「長宗我部国親の墓」という標柱があったようだが、朽ちて撤去されたようだ。


 本日はこれにて終了。高知市内の宿に泊まった。

本日の感想:友達の好意で、諦めていた長宗我部文書が見られたので満足。

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