矢作川沿い史跡巡り2010(前編:隣松寺・勝蓮寺・矢作神社)

 2010年1月4日(月)、1~3日は所用があって行けなかった初詣も兼ねて岡崎市の史跡に行った。
 豊田東インターを降りるといざ初史跡巡り!

1.隣松寺・・・豊田市幸町隣松寺126にある。三河一向一揆の際、徳川家康が一揆に加担した三河上野城への攻撃拠点とした。境内にある稲荷社は父・広忠が家康の成長の無事を祈り、家康は三河上野城攻撃の際、戦勝祈願をして勝利している。
感想:都会とは言えない場所にあるのにお寺は立派。天下人と関係するとやっぱり違うなあ・・・。ところどころにあったまったくさりげなくない葵の御紋が素敵。
 ちなみに毎年7月28日の15時頃から家康の遺品を陰干しされているそうです。

(仁王門)

(稲荷社)

(本堂)


 次の目的地まで直線距離だとすぐなのだが・・・矢作川のせいで行くことが出来ず遠回りするしかなかったTT

2.足利尊氏の石宝塔・・・岡崎市大門三丁目29-6にある。八剣神社本殿の裏にある。この辺りに領地を持っていた足利氏の氏族が建てた供養塔と考えられている。
感想:ひっそりとありました。大門駅から近いですが訪れる人は少なそうです。


3.勝蓮寺・・・岡崎市矢作町宝珠庵16にある。一七代住職・行誓が松平信康と親しく、信康の肖像画など数多くの遺品が残されている。
感想:旧東海道沿いにある。昔はかなり広かったようだが、宅地開発などで縮小してしまったようだ。


 勝蓮寺の近くの矢作橋の袂にあった「小六と日吉丸・出会いの像」をここ数年見ていないので、代わりにずっと建っているお知らせをじっくりと見てみた(いつも車で通りすぎていて見られないので)。

・・・いつになるんだろう。そしてどこに安置してあるんだろう・・・。
4.矢作神社・・・岡崎市矢作町宝珠庵1。矢作川沿いにある。日本武尊が東夷(あずまえびす)と戦った際、川の中州にあった竹で矢を作り勝利。それ以来、矢を作った川ということで「矢作川」と呼ばれるようになった。その戦いの前に勝利を祈ったのが、ここ矢作神社である。
 境内には新田義貞が足利尊氏と戦った際、矢作神社に祈ったところ、石がうなったという「うなり石」もある。
感想:勝蓮寺の入り口が分からず通り過ぎてしまい間違って入ってしまったが、それが逆に良かった。
 ここで初めて矢作という名前の由来を知った。日本武尊と関係があったのか・・・。

(本殿)

(日本武尊の像)

(うなり石と矢作やぶ)


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矢作川沿い史跡巡り2010(前編:隣松寺・勝蓮寺・矢作神社)」への2件のフィードバック

  1. >キヘイジさん
    やっぱり新春は寺社中心の史跡巡りですよ!
    春も出来る限り、ご希望に添えるようにしたいですね。

    上宮寺、古くさいですか? 私はありきたりの葬儀場みたいに見えましたが・・・。まあ21世紀って感じじゃあないですね^^;

  2. 新年早々の寺社巡り、いいっすねえ。
    春の三河武士巡りがますます楽しみになってきました!

    それにしても上宮寺、14年後にして既に古くさい感が漂ってますね・・・。
    とても21世紀を乗り越えられる気がしません(笑)

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