三河山崎城(山崎神明社)

住所:愛知県安城市山崎町城跡

 松平清康の弟・信孝は清康亡き後、遺児・広忠を助けるが次第に専横となったため、駿府に行って城を不在にしていた間に広忠らによって領地を没収される。そこで「信孝は広忠に対抗するため、安祥城まで進出していた織田信秀と通じ1543年に当城を築いた。しかし1548年、今川・松平連合軍に攻められて城を落とされている。その後、1585年の小牧・長久手の戦いの際、徳川家康が羽柴秀吉軍の襲来に備えて改修したという説がある。
 現在は近くに館を構えた保科正直が信仰していたという山崎神明社が建っている。

(一の鳥居)

(二の鳥居と拝殿)

(拝殿の龍の彫刻)

(本殿)

(本殿裏に残る土塁と空堀)

感想:空堀に降りる道がありましたが急だったので行くのはやめました。


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