住所:愛知県豊田市長興寺1-29
臨済宗東福寺派。1335年、衣城主・中條秀長が太陽義沖を招いて開山した。当時は十八の塔頭がある大寺院だった。しかし応仁の乱後、庇護していた中條氏の衰微と共に衰える。1567年に織田信長の兵火で焼失したが、信長の家臣・余語正勝が再興。当寺には信長の肖像画としてはもっとも有名な紙本著色織田信長像がある。
(美しい音色を発したため、村人に親しまれていた鐘。ある晩、盗人が鐘を担いで持っていこうとしたところ急に重くなり身動きが出来なくなってしまう。しかも鐘が「長興寺恋しや」と喋ったため恐ろしくなり返そうとしたところ軽くなり、そのまま寺に戻したという)
感想:肖像画は豊田市郷土資料館でたまに公開されているようです。