長谷川秀一公旧居跡(東郷侍従旧居跡)

住所:愛知県一宮市北方町北方字東渡り58-2、愛知県一宮市北方町北方字宮浦42

 長谷川秀一は織田信長に小姓として仕えたという。本能寺の変の際は堺に徳川家康を案内していたため難を逃れている。その後、豊臣秀吉に仕え、小牧・長久手の戦い、紀州征伐に従軍し、越前東郷11万石の城主となる。旧居跡は秀一が信長に仕えていた頃の屋敷跡と伝わる。

(屋敷跡。現在は下渡り公民館が建っており説明版がある)

(石碑。以前は下渡り公民館の辺りに建っていたが、北方中学校の校門に移転された)

(石碑の横に移転したことが書いてあった)

感想:石碑の移転先が旧居跡といわれていたところから離れすぎているため、石碑としての意味をなしていないのでは・・・。住宅街とはいえ、もう少し近くに移転することは出来なかったのだろうか。




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