源長寺(矢野和泉守正倫の墓)

住所:東京都足立区千住仲町4-1

 浄土宗。慶長15(1610)年、石出吉胤が菩提寺として創建した。

(山門)

(延命子育て地蔵堂)

(本堂)

(石出吉胤の墓(中央)。千葉氏の一族で足立区に移って開拓や荒川に築堤を行なっている)

(中村一忠の旧臣・矢野和泉守正倫の墓。大坂の陣で主家再興のため戦うが戦死する。正倫の次男が千葉県佐倉の牧野という地に知り合いを頼って落ち延び姓も牧野に変え、やがて後裔が石出氏を頼って当地に住んだ。碑文によると後裔の牧野右泉なる人物が天明4(1784)年に再建したとある)

参考文献:現地の案内板、新修足立区史 上巻、渋柿 (553)

感想:正倫の墓の横に建つ「史跡 矢野和泉守正倫墓」は、昭和38(1963)年に子孫で皆から忘れられていた墓を見つけた牧野寥々ら牧野家一門によるものです。


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清音寺(佐竹貞義・義篤の墓)

住所:茨城県東茨城郡城里町下古内1130

 臨済宗南禅寺派。809年に空海が草庵を構え、837年に伽藍が建立された。1252年、佐竹義敦が父・貞義の追善のため伽藍を寄進する。その後寺勢は隆盛するが、1580年の兵火による焼失と佐竹氏の秋田移封で衰退した。江戸時代には幕府の庇護を受けるが、明治維新後は廃仏毀釈や火災により再び衰えて現在に至る。
(参道)

(山門)

(桜)

(本堂)

(この手書き感満載の旧跡図が、味があって好きです)

(手前から佐竹義敦・復庵大光・佐竹貞義の墓)

感想:栄枯盛衰を体現したような寺です。


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長安寺(純信とお馬の墓)

住所:鳥取県鳥取市鹿野町寺内209

 曹洞宗。永延年間(987~989年)に宝照寺として創建された。康平年間(1058~1065年)、兵火により焼失したため再建され現在の寺号となる。
 「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい」。土佐のよさこい節とはりまや橋は僧の純信とお馬の悲恋の歌として全国的に有名である。当寺には高知市のはりまや橋で有名な純信とお馬に関する伝承がある。文政2(1819)年、土佐市に生まれた純信は京で修行した後、五台山竹林寺の脇坊に入った際、後輩の慶全が鋳掛屋のお馬と恋仲になった。その後、お馬の心は純信に移り二人は駆け落ちしたが琴平で捕まり、純信は四国中央市に追放された。その後、純信は寺子屋を経営し、お馬は須崎市に追放の後、別の男性と結婚した。鹿野町では純信は四国中央市で世話をしてくれた亀吉が亡くなると修行僧となって、同町にある譲伝寺で修行すると長安寺の住職になった。それを知ったお馬も純信を追いかけ因幡まで来て寺近くの薬師堂で逢瀬を重ねたと伝わる。

(入口)

(本堂)

(純信(仏鑑和尚)の墓と思いきや…)

(裏に廻ると写真では分かりづらいが純信の没年と共にお馬の戒名(義徹玄妙尼上座)が刻んであり、同じ墓に葬られている。真ん中には「土州産」とある)

(二人が逢瀬を重ねた薬師堂)
薬師堂

(高知市のはりまや橋)
はりまや橋

感想:日本海新聞に載っていたので行ってみました。