長安寺(純信とお馬の墓)

住所:鳥取県鳥取市鹿野町寺内209

 曹洞宗。永延年間(987~989年)に宝照寺として創建された。康平年間(1058~1065年)、兵火により焼失したため再建され現在の寺号となる。
 「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい」。土佐のよさこい節とはりまや橋は僧の純信とお馬の悲恋の歌として全国的に有名である。当寺には高知市のはりまや橋で有名な純信とお馬に関する伝承がある。文政2(1819)年、土佐市に生まれた純信は京で修行した後、五台山竹林寺の脇坊に入った際、後輩の慶全が鋳掛屋のお馬と恋仲になった。その後、お馬の心は純信に移り二人は駆け落ちしたが琴平で捕まり、純信は四国中央市に追放された。その後、純信は寺子屋を経営し、お馬は須崎市に追放の後、別の男性と結婚した。鹿野町では純信は四国中央市で世話をしてくれた亀吉が亡くなると修行僧となって、同町にある譲伝寺で修行すると長安寺の住職になった。それを知ったお馬も純信を追いかけ因幡まで来て寺近くの薬師堂で逢瀬を重ねたと伝わる。

(入口)

(本堂)

(純信(仏鑑和尚)の墓と思いきや…)

(裏に廻ると写真では分かりづらいが純信の没年と共にお馬の戒名(義徹玄妙尼上座)が刻んであり、同じ墓に葬られている。真ん中には「土州産」とある)

(二人が逢瀬を重ねた薬師堂)
薬師堂

(高知市のはりまや橋)
はりまや橋

感想:日本海新聞に載っていたので行ってみました。



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