2015年四国史跡巡り(4日目その3:阿波豊国神社・平島公方の墓)

 次に立江寺に行こうと思ったが長宗我部や三好とあまり関係が無いし時間が無かったため行くのはやめた。

19.阿波豊国神社・・・徳島県小松島市中郷町豊ノ本4。1614年8月に創建され、徳島城内に祀られていた豊臣秀吉の木造を安置した。1615年の大坂の陣で豊臣家が滅ぶと廃棄され社殿は崩壊したが、秀吉の木造は宝蔵寺に移されている。その後、新日吉明神として再興され、明治になると豊国神社の名前に戻った。

(鳥居)

(社殿)

(旧豊国神社礎石)

感想:ここで急にトイレ(小)に行きたくなったのですが、『神社にない→隣の寺にない→近くの公民館は休み→近くの公園に行ったら『トイレが故障中なので(さっき行った)公民館に行ってくれ』と張り紙がある』という何かの呪いのような目にあいました。結局、次の目的地に行く途中のコンビニですませました。


 次に平島公方館跡に建つ阿波公方民俗資料館に行くが月曜と祝日が休みだった…。もし売っていたら平島公方の本が欲しかったのに。

(阿波公方民俗資料館)

20.西光寺・・・徳島県阿南市那賀川町赤池185。真言宗。神亀年間(724~729年)、行基が開基した。足利将軍家の一族・平島公方の菩提寺である。

(山門)

(鐘楼)

(本堂)

(足利義冬・義稙・義栄の墓)

足利義助の墓)

(足利家の墓にいた猫。ノミがいたらしく取ってくれと寄ってきた)

感想:7年前に来た時と比べると墓にあった標柱の文字が薄れていました。


 今日はこれでお終い。阿南市のホテルに泊まった。
本日の感想:やはり移動が疲れました。高知~徳島は吉野川沿いにしか高速道路しかないので仕方が無いですね。

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2015年四国史跡巡り(4日目その2:秋元和泉守盛貞の墓・櫛淵城・細川之照の墓)

16.法泉寺・・・徳島県小松島市櫛渕町山口3。曹洞宗。阿波櫛淵城主・秋元氏が創建した。

(山門)

(本堂)

(1560年8月6日に亡くなった秋元和泉守盛貞の墓。盛貞は信濃の豪族だったが武田信玄に敗れたため三好家を頼って阿波に来て櫛淵城主になっている、と子孫は自称しているが、鎌倉時代に阿波に来た地頭だったとの説が有力である)

感想:秋元和泉守盛貞の墓は住職さんの車で案内してもらいました(軽自動車でも狭い山道を通るので歩いていった方が無難です)。ありがとうございました!


17.櫛淵八幡神社(櫛淵城)・・・徳島県小松島市櫛淵町北佃。1017年、当地が石清水八幡宮に寄進され別宮となった。1221年の承久の乱後、秋元氏が当地の地頭に任ぜられると神社との間で度々諍いが起きたが、最終的には秋元氏が勝利し一円の領有を認められている。
 神社の裏にあるのが櫛淵城で秋元氏の居城だった。秋元氏は十河存保に味方し長宗我部元親と敵対していたが1582年の中富川の戦いで敗北し没落、子孫は蜂須賀氏に仕えている。

(天然記念物のフウ。フウ(楓)は中国、台湾に生え、日本には享保五年ごろ渡来し街路樹や庭木とされた)

(鳥居)

(拝殿)

(櫛淵城跡。見ての通り工場が建っていたため散策はしなかった)

感想:城址の井戸があると聞いたが分からなかった。


 櫛淵八幡神社にあった地域の観光案内に細川真之の遺児・細川之照の墓があると知り、大まかな地図を頼りに行ってみる。
 これは探すのに大変苦労した…。30分くらい探し回ってやっと見つかった。

18.細川之照の墓・・・徳島県小松島市櫛淵町。真之没後に秋元氏の婿養子となり子孫は庄屋となっている。

(之照を祀る祠)

(之照の墓)

感想:畑の中にあるので許可を取ってから入りましょう。

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2015年四国史跡巡り(4日目その1:細川真之の墓・茨ヶ岡城・福良出羽守の墓)

 2015年5月5日(火)、今日は高知市から徳島県に移動して本格的な史跡巡りだ。目的地に行くためには国道195号線を通らないといけないのだが、高知から徳島への山道は酷いと聞いていたのでびびっていた。そこで地元の方に聞いたところ、「酷道ってほどじゃない」と情報をもらったので安心して行った。
 途中に店は無いし一部すれ違えない箇所もあったが概ねまともな道で良かった。130キロもの下道運転はさすがに疲れたが…。

(高知県南国市のへんろ石まんじゅう。走っている最中に目に入ったので買った。量が多くて結局昼飯になった)

(徳島県に入った辺りの景色)

13.細川真之の墓・・・徳島県那賀郡那賀町和食郷八幡原茨ヶ岡。細川真之は当地で長宗我部元親と通じ三好家と対峙したが1582年に山岳武士団の襲撃を受けて自害した。
(入り口)

(真之を祀る青石台の祠。右の石塔が真之の墓だと思われる)

感想:真之は三好長治と戦った後の行動については不明で死も軍記物に記載されている程度。きっと元親と十河存保の覇権争いが激しくなり顧みられなくなったのでしょう。

14.茨ヶ岡城・・・徳島県那賀郡那賀町和食郷八幡原茨ヶ岡。細川真之が三好家と対峙した際に居城とした。
(全景)

(堀)

感想:碑があると本に書いてあったが見つからなかった。


 ここで持っていた資料に「勝浦町の円城寺に真之を庇護した福良出羽守の墓がある」という記載あったため急遽予定を変更して勝浦町に向かった。
 勝浦町に向かう山道は予想はしていたが狭く急な坂道だった。お互いに対向車が来るとは思っていないので衝突しそうになった。

15.円城寺・・・徳島県勝浦郡勝浦町棚野畑田15。真言宗。淡路の福良から当地に移ってきた福良氏が創建し菩提寺とした。

(山門)

(大師堂)

(鐘楼堂)

(福良氏の墓。後年に縁者が建てたもの。どれが出羽守のものか分からなかった)

感想:住職さんに出羽守の墓の場所を丁寧にご説明いただきました。ありがとうございました!


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