新田目城(大物忌神社)

住所:山形県酒田市本楯字新田目87-1

 築城年代は不明。11世紀の終わりに出羽国留守所職に任ぜられた須藤氏が築いたと伝わる。元和年間(1615~1624年)に廃城となった。城址には北部農民センターと大物忌神社が建っている。
 大物忌神社は祭神が倉稲魂命で、寛治年間(1087~1094年)に源義家が東征の際、戦勝を祈願したと伝わる。

(大物忌神社の鳥居)

(鳥居の横に建つ城趾碑)

(堀跡かなと思って撮ってみた)

(大物忌神社の拝殿)

(本殿の裏に残る土塁跡)

感想:周辺には他にも遺構が残っているようです。


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亀ヶ崎城(東禅寺城)

住所:山形県酒田市亀ヶ崎1-3-60

 かつては別の地に建っていたが1466年の洪水で損壊したため、1478年に武藤(大宝寺)氏が現在地に築城した。やがて一族の前森(東禅寺)氏が城主となり、最上義光に内通して武藤氏を滅ぼし武藤氏の居城・尾浦城も手に入れる。しかし1588年の十五里ヶ原の戦いで前森氏は上杉景勝軍によって討ち取られ、当城には上杉家の家臣・本庄繁長や甘粕景継らが入った。
 1598年に志田義秀が城主となるが、1601年に最上義光の攻撃を受けて撤退。その後、義光の家臣・志村光安が入った。1603年、大浜海岸に約2.1メートルもの大亀が上陸したことを義光は吉事として東禅寺城を亀ヶ崎城に改名、これに合わせて大宝寺城も鶴ヶ岡城に改名している(縁起の良い鶴と亀という意味)。1622年、最上家が改易され酒井家が庄内地方を支配すると城代が置かれた。
 明治維新後は酒田県庁となったが山形県と合併すると建物は解体されている。現在、敷地の一部に酒田東高校が建っている。

(本丸と二の丸跡に建つ酒田東高校)

(城址に建つ亀城八幡神社)

(境内に奉納された亀)

(土塁跡)

感想:市内の円通寺には移築門があるそうです。


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善宝寺(竜神信仰の寺)

住所:山形県鶴岡市下川関根100

 曹洞宗三大祈祷所の一つ。10世紀前半に妙達が当寺の北にある龍華の地に庵を結んだのが始まり。当初、天台宗で龍華寺という寺号だったが、14世紀初めに韶碩が仏法を説いたため曹洞宗となり、更に1446年に浄椿が善宝寺に改めている。江戸時代中期に応伝が伽藍を整備した。1786年に有栖川宮家の祈願所となっている。
 海の守護神・龍神の寺として知られ航海安全と大漁祈願のご利益があるという。

(妙達が建てた龍華庵。1879年に再建された)

(観音堂)

(総門)

(魚供養のため1893年に建てられた五重塔)

(1862年に建てられた山門)

(弥勒堂)

(1959年に建てられた本堂)

(龍道大龍王と戒道大龍女を奉る龍王殿。1833年に再建された)


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