安土城(その2)

(黒金門跡)

(二の丸跡の石垣)

(二の丸跡に建つ織田信長本廟。羽柴秀吉が本能寺の変後、築かせたという)

(本丸跡から見た織田信長本廟)

(天守跡)

(摠見寺本堂跡。織田信長の菩提寺だったが1854年に焼失し現在の仮本堂が建てられている)

(本堂跡から見た安土町の街並み。当時は城の近くまで湖があったが、太平洋戦争後の干拓事業で離れている)

(摠見寺三重塔)

(仁王門。金剛二力士像は室町時代の作と伝わる)

(信長が安土城の守護神として修復した石部神社)

感想:羽柴秀吉邸跡の作りがおかしいとか、本当に天皇の行幸のための建物があったのか、など様々な説があるようです。
 石部神社は2005年の写真で、2012年に行った時は入れなくなっていました。工事中だったのか、ここから出入りできないようにするためだったのか不明です。




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安土城(その1)

住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

 標高199メートルの安土山に建つ。1579年に日本初の本格的な天守が建てられた近世城郭として知られているが諸説ある。1582年、本能寺の変で城主の織田信長が亡くなると天守と本丸が焼失した。1585年、豊臣秀吉の天下が定まり近江八幡城が築城されると廃城。
 現在は山全体が国特別史跡として整備されている。

(駐車場付近から見た安土山。以前来た時は、駐車場代は無料だったのだが500円を取られるようになっていた)

(大手門跡近くにある入り口。ここも入城料が無料から500円に。整備にお金がかかるのは分かりますが・・・)

(180メートルあるという大手道)

(伝・羽柴秀吉邸跡。1687年に作成された『近江国蒲生郡安土古城図』によるが裏付ける史料はないらしい)

(伝・前田利家邸跡。秀吉邸の向かいにある。こちらも裏付ける史料はないらしい)

(摠見寺仮本堂。伝・徳川家康邸跡。裏付ける・・・まあいいや)

(結構、登ってきた)

(大手道跡の石仏。築城の際に石材として使われたという)

(伝・織田信忠邸跡)

(まだまだ続く。400段あるらしい)

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日牟礼八幡宮(日牟禮八幡宮)

住所:滋賀県近江八幡市宮内町257

 当地には古代より大島神社が建っていたが、比牟礼庄が開発された1005年に宇佐八幡が勧請され日牟礼八幡宮が創建される。中世には近江守護・佐々木氏の、江戸時代には八幡商人の崇敬を受けた。織田信長が華美な衣装で参加したという左義長祭り、応神天皇行幸の際に松明の火で案内したことから始まったという八幡祭りが行われることで知られる。
 当社は江戸時代初期にベトナム北部へ渡り財をなしたが鎖国令で帰国できなかった西村太郎右衛門が、絵師に描かせて奉納した絵馬・安南渡海船額など貴重な社宝を所蔵している。

(楼門)

(能舞台)

(拝殿)

(本殿)

感想:近くに八幡堀や近江八幡城のロープウェイ乗り場があるので、一緒に行くのがいいと思います。




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