岩略寺城

住所:愛知県豊川市長沢町御城山

 長沢城の南に位置する。築城年代などは不明。松平信光が攻め落とし息子・親則に与えている。のちに今川氏によって拡張された。桶狭間の戦い後に徳川家康が今川軍の守る当城を攻め落としている。

(要図及び標柱。後ろは南曲輪の土塁)

(堀切)

(井戸跡。やたらと井戸跡の多い城だったが、それだけ水の確保に苦労したのだろう)

(本曲輪)

(三日月堀。こういう堀は北条・武田の城で見たことがあるが三河では初めて。今川氏が意識して造ったのか、たまたまこういう形になったのかは不明)

感想:遺構が良く残っている城でした。




写真の提供についてはこちらをクリック




三河長沢城(長沢松平家の居城)

住所:愛知県豊川市長沢町古城

 東西三河の境目に位置し、現在でも東名高速道路・国道1号線・名古屋鉄道が通る交通の要所。長禄~寛正年間(1457~1466年)に松平信光の子・親則が築城し長沢松平家の祖となる。八代目の康忠は徳川家康の妹・矢田姫を妻としている。徳川家が関東に移封される際に廃城になったと思われる。1634年に徳川家光の休憩所が建てられた。

(長沢小学校に建てられている案内板)

(休憩所が建てられたと言われる長沢小学校)

(城門跡。小学校の北側に建つ)

(1300年に建立の三尊種子板碑。梵字が刻んである。長沢保育園の北側に建っており、位置的には正門近くになるようだが・・・)

(井戸跡。長沢小学校や保育園からだと国道1号線を挟んだ北側にある。学校側からトンネルを通って行くと井戸跡が近くの忠魂碑が建つ公園に隠れて目立たない)




写真の提供についてはこちらをクリック




美濃山口城(古田織部生誕地)

住所:岐阜県本巣市山口

 1187年、美濃守護に任ぜられた梶原景時が築城。戦国時代には古田氏の居城となり、1544年に茶人として有名な古田織部がこの地で生まれている。現在は文殊の森公園となっている。

(山口城趾碑。ここが入り口で主郭まで約500メートル。しかも駐車場からここまでも数百メートルある坂を登ってこないといけない)

(城趾碑の裏に刻んである古田織部生誕の地の文字)

(途中にある中ノ城跡)

(中ノ城の展望台から見た風景。どちらの方向を見ていたのか良く分からんかった)

(山口城主郭)

(山口城から眼下を望む。ここもどちらの方向を見ていたのか良く分からんかった)

感想:山頂まで登るのが無茶苦茶しんどかった! 4月とは思えないくらい寒かったし、とにかく大変だったという思い出しかない。


写真の提供についてはこちらをクリック