伯耆打吹城(伯耆山名氏の居城)

●伯耆打吹城
住所:鳥取県倉吉市仲ノ町
駐車場:麓の観光用駐車場を利用

 打吹城は打吹山を中心とした山城で、山名師義によって築城された。その後、伯耆山名氏の居城だったが、大永年間に尼子経久が伯耆を攻めた際に他の諸城とともに落城。尼子氏滅亡後は、毛利氏や南条氏が領したが、一国一城令によって廃城となる。その後は山麓に陣屋が置かれ、因伯を支配した池田氏の家老である荒尾氏が支配した。
 現在は打吹公園として整備されており、当時の遺構もある。

(備前屋敷跡に建つ鎮霊神社)

(南条氏が築いた越中丸。ミニ八十八ヶ所がある)

(登っている最中に撮った倉吉市内)

(備前丸)

(城趾碑)

(本丸)

(石垣)

(空堀)

(武者溜)

感想:歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。




岩津天満宮(学問の神様)

住所:愛知県岡崎市岩津町東山53

 一条の雷光と共に芭蕉の葉に乗った菅原道真の霊が岩津山に降り立った。その道真の霊と土地を守る霊が出会い霊山となったのが岩津天満宮の始まりだという。
 江戸時代中期、信光明寺の住職・一誉上人は江戸に向かう途中で病となってしまった。そこで天満宮に参詣したところ平癒したため、鎌倉の荏柄天神社を参拝し分霊をいただいて観音堂に祀った。しかし一誉上人の枕元に道真の霊が立ち「四辺眺望の地に祀るように」と伝えたため、1759年に岩津天満宮が創建されている。
 学問の神様として知られ、岡崎市を代表する観光地の一つである。

(鳥居)

(鳥居の前にある御神橋。神さんが渡る橋で、渡ると縁起が良いらしい)

(ちなみに御神橋は2004年に行った時はなかった)

(拝殿・本殿まで続く階段)

(岩津稲荷)

(撫で牛。病にご利益がある)

(2011年に修造された拝殿)

(2004年当時の拝殿)

感想:相変わらずの人の多さだった。


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信光明寺(松平三代の墓、酒井広親の石宝塔)

住所:愛知県岡崎市岩津町東山47

 松平家三代当主・信光が1451年に初代・親氏と二代・泰親の菩提を弔うために創建した。元亀年間(1570~1573年)に武田信玄との戦いによる戦火で観音堂を残して焼失。江戸時代になると徳川家所縁の寺として再建・増築されたが、江戸末期に火災のため観音堂・唐門以外は焼失してしまう。
 1478年に建てられた観音堂は国の重要文化財に指定されている。

(総門。この先に唐門があるが保育園があるため左側を回って行く必要がある)

(鐘楼)

(観音堂)

(慈母観音)

(松平三代の墓)

(酒井家の祖・酒井広親の石宝塔。信光明寺から150メートルほど西に行った住宅街の中にある。かつてはこの辺りまで寺領だったと考えられている)

(昔、夏に行った時の広親の石宝塔。ここは冬に行った方が良さそうです)

感想:酒井広親の石宝塔は岩津小学校の西側にあります。車を駐めるところがないため、信光明寺から歩いて行きましょう。


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