静岡県東部史跡巡り2011(2日目前半:三浦按針記念碑・伊東祐親の墓・伊豆山神社)

 2011年10月3日(月)、伊東市のホテルを出発。今日は昨日と違って廻る数が少ないので余裕だろう。

17.三浦按針記念碑・・・伊東市渚町。なぎさ公園の川向かいにある。徳川家康の外交顧問・三浦按針(ウィリアム・アダムス)が、ここで洋式帆船を建造した。

(記念碑とサン・ブエナ・ベントゥーラ号の彫刻)

(三浦按針の彫刻)

18.物見塚公園・・・伊東市大原2。伊東氏居館跡伝承地の一つ。伊東氏は源頼朝を監視した伊東祐親が知られている。祐親は曾我兄弟の祖父としても有名。
感想:なぎさ公園からは住宅街を通ったため、道が狭く苦労した。

(公園全景)

(伊東祐親の像)

19.伝・伊東祐親の墓所・・・伊東市大原町。
感想:墓所の周りが道が狭いため仕方なく近くのコンビニに停めて歩いて行った(コンビニで買い物しました)。

 市内にはまだまだ祐親関係の史跡があったが、そんなに興味がある訳じゃないので北上した。


20.伊豆山神社・・・熱海市伊豆山708-1。伊豆の地名の発祥地。源頼朝・徳川家康の崇敬を受けた。源頼朝と北条政子が縁を結んだ場所と言うことでパワースポットとして人気が高い。
感想:ここは平日にも関わらず賑わっていた。

(鳥居)

(役小角を祀る役小角社。祈願すれば足腰を強くなるそうな)

(男女の縁結びを叶えてくれる結明神社)

(伊豆山神社拝殿)


21.日金山・・・熱海市伊豆山968。山頂は十国(伊豆・相模・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・安房・上総・下総)が見渡せるため十国峠と呼ばれている。

(駐車場にある山頂へのケーブルカー乗り場兼土産物屋)

(山頂。この先に雲が無ければ富士山が見えるのだが・・・)

(三浦半島・東京方面。右に見えるのが真鶴半島)

(源実朝の歌碑。箱根から伊豆山に向かう途中、十国峠で「箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」と詠んでいる)

 日金山を車で降っている途中、お昼になったので道沿いの蕎麦屋に寄った。初めて更科蕎麦を食べたのだが、世の中に白い蕎麦があるとは・・・。あっさりしていて食べやすかった。


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静岡県東部史跡巡り2011(1日目その4:浄蓮の滝・唐人お吉の墓・下田城)

 修善寺を後にすると下田に向かう。その途中、天城越えをしていると滝のそばにある道の駅を発見。休憩がてら寄ってみる。

・浄蓮の滝・・・伊豆市湯ケ島892ー14。日本の滝100選。女郎蜘蛛の伝説がある。
感想:滝マニアとしては寄らない訳にはいかないでしょう。

(浄蓮の滝)

(天城越えの碑)

(名物のわさびを使ったソフトクリーム。適度にわさびが効いていて悪くはないが・・・当たり前だけど普通にバニラだけ食べた方が美味しい)


12.深根城・・・下田市堀之内80。北条早雲が堀越公方・足利茶々丸を攻めた際、当城の城主・関戸吉信は茶々丸に味方した。そのため早雲に攻められ1498年に落城。この時、茶々丸も当城に籠もっており亡くなったといわれている。井戸跡などがあるが、個人宅にあるため見学はできない。
感想:見学できる範囲では遺構らしきものはほとんどない。この近くに茶々丸夫妻の墓と伝わっている宝篋印塔があるらしいが、探すのが大変そうだったので諦めた。
 去年建てられた案内板があるのだが、風雨で文字が消えるということで本郭に住まれている方が倉庫に仕舞われていた。

(案内板)

(堀)

(全景。左の道沿いに碑があったらしいのだが撮り忘れた)


13.宝福寺・・・下田市1-18-26。1559年の開基。1854年の下田が開港されると下田の仮奉行所となった。1863年、当寺に泊まっていた山内容堂を勝海舟が訪ね、坂本龍馬脱藩の罪を許してもらうように願い出て許可されている。

(下田奉行所だった本堂)

(坂本龍馬の木像)

(唐人お吉の墓。お吉はアメリカ総領事・ハリスの看護師として仕えたが、すぐに解雇される。西洋人に仕えたことから世間の差別を受け酒に溺れた。小料理屋を開くがアルコール依存症のため上手くいかず倒産。最期は下田川に身投げをした)

(お吉の人形・・・だったと思う。深根城から当寺の途中にお吉身投げの場所を通ったが寄らなかった)

14.了仙寺・・・下田市三丁目12ー12。大坂夏の陣の時、徳川家康が眼病に苦しんでいたため、家臣・今村正長は身延山の日朝に祈願させた。その甲斐あって全快した家康は日朝に寺の建立を約束。家康の存命中には果たされなかったが、1635年に家光が祖父の約束を守って13石を寄進し、正長が当寺を建立し日朝を迎えている。
 幕末には当寺でペリー提督と幕府の代表・林大学との間に下田条約が結ばれている。
感想:性風俗資料館もあったらしいのだが、時間が無くて行けなかった。

(山門と日米条約締結之地の碑)

(今村正長ら今村氏三代の墓)


15.ペリー上陸の碑・・・下田市三丁目。下田公園下の海岸にある。1854年にペリー艦隊上陸を記念した碑。

(ペリー艦隊来航記念碑)

(公園全景)

16.下田城(鵜島城)・・・下田市三丁目。築城年代は不明。1588年、北条氏は豊臣秀吉の侵攻に備え箱根の伊豆山中城とともに海の防衛拠点として大改築が行なった。しかし1590年の小田原征伐で長宗我部元親らが率いる水軍に攻められ落城。現在は下田公園となり、天守台、二の丸、空堀などが残っている。
感想:北条氏の城らしく広大な空堀が残っている。

(公園の入り口。右には駐車場がある)

(日米和親条約を記念した開国記念碑)

(下田公園から見た下田港)

(鵜島城址の碑と伝・天守台跡)

(空堀1)

(空堀2)


 史跡巡りはこれにて終了。食欲もないくらい疲れていたのでホテルに行って軽く食事をした後、早めに寝た。
本日の感想:昔の区分から言えば当然なのかもしれないけど、伊豆地方は浜松市や静岡市と違って関東の雰囲気がするな。

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静岡県東部史跡巡り2011(1日目その3:狩野城・修善寺・源頼家の墓)

8.狩野城・・・伊豆市本柿木。標高190メートル。平安末期、狩野氏によって築城された。狩野茂光は源為朝を討ったことで知られる。その後、子孫は鎌倉幕府・後北条氏に仕えた。絵師として有名な狩野派の一族は狩野氏の末裔である。
感想:標識が多く駐車場も完備されており行きやすい。

(西郭)

(二重堀)

(中郭)

(空堀)


9.修善寺・・・伊豆市修善寺964。807年に弘法大師が開基。南北朝の戦乱に巻き込まれ火災に遭うなどして衰退したが、1489年に北条早雲が再興し曹洞宗に改宗された。
感想:温泉街なので賑やか。今回の旅行で初めて人がいるところに来た。

(山門)

(本堂。有名なので大寺院かと思っていたが、想像よりこりこぢんまりとしていた。温泉街として有名なのね)

(桂川。右に見えるのが弘法大師が霊泉を湧出させたといわれる独鈷の湯。修善寺温泉の元になったという)

10.日枝神社・・・伊豆市修善寺。修善寺の隣に建つ。弘法大師の建立。

(鳥居)

(境内にある信功院跡。源頼朝の弟・範頼が幽閉された。信功院はのちに庚申堂となるが、現在は写真の庚申塔が残るのみ)

(子宝の杉)

11.指月殿・・・伊豆市修善寺935。北条時政らによって修善寺に幽閉されたのち殺された源頼家の菩提を弔うため北条政子が建立。伊豆最古の木造建築と伝わっている。

(釈迦如来坐像)

(源頼家の墓)

(頼家の死後、遺臣が謀叛を企てたが挙兵前に殺される。墓はその遺臣13人の墓と言われる)

(指月殿の裏山にある源義経の像。チンギスハンをイメージしているとか。戦前の作品だからね・・・。400メートルくらい登るので訪れる人は少ない)


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