静岡県東部史跡巡り2011(3日目その2:千福城・葛山城・深沢城)

31.千福城(平山城)・・・裾野市千福387。葛山備中守・葛山友綱・御宿政友の居城。普明寺の裏山が城趾である。
感想:走っている最中にたまたま見つけた。時間が無かったため山に登らず寺だけ参って去った。

(山門)

(境内。後ろの山が千福城趾)


32.葛山城・仙年寺・・・裾野市葛山491。葛山氏の居城。平時は南の居館で暮らしていたが、有事には当城に籠もって戦った。
 仙年寺は空海によって開基された。最初は愛鷹山にあったが、南北朝時代に葛山氏が現在地に移転した。
感想:この辺りは『もののふの里』として売り出しているらしい。

(山門。居館の門を移築したといわれる)

(本堂)

(本堂裏にある葛山氏墓所)

(墓所を更に登って行くと城の遺構がある。写真は堀切)

(竪堀・・・らしいが良く分からない)

(虎口)

(本丸)

33.葛山館跡・・・裾野市葛山。仙年寺から徒歩五分。葛山氏の居館。


34.深沢城・・・御殿場市深沢字本城604。16世紀初めに今川氏によって築城。相模・甲斐との国境に近いため、今川・北条・武田氏による争奪戦の舞台となった。1570年に武田信玄が北条綱成の守る当城を開城させ手に入れている。武田氏が滅亡すると徳川家康の所領となったが、家康が関東に移封されると廃城となる。
感想:城趾は民家・農地となっているところが多いが、当時の雰囲気が残っている。一見の価値あり。

(入り口にある城址碑)

(武田氏独特の築城法といわれる三日月堀)

(馬出し)

(本丸)


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静岡県東部史跡巡り2011(3日目その1:足利義詮の墓・伊豆山中城・一柳直末首塚)

 2011年10月4日(火)、三島市のホテルを出る。

28.宝鏡院・・・三島市川原ケ谷2。臨済宗。室町幕府二代将軍・足利義詮と堀越公方・足利政知の墓がある。
感想:地図に足利義詮の墓が載っていたので寄ってみようと思ったのが苦労の始まりだった。カーナビ・マップルともに義詮の墓が三島市川原ケ谷216の宝光寺裏の丘に記載してあったので、そこに行ってみたが石塔や神社はあるものの肝心の墓が無い・・・。
 散々探した挙げ句、近所の方から宝鏡院にあると聞いたので行ったところ、やっとお参りすることができた。グーグルマップでも宝光寺裏の丘にあると出ている。移転した訳でもないらしいし、この義詮の墓は何なんだろうか?

(本堂)

(足利義詮の墓。後ろの五輪塔に足利政知があるらしいのだが分からなかった)


29.伊豆山中城・・・三島市山中新田。北条氏によって永禄年間に築城された。その後、北条氏の西の拠点として機能。1589年に豊臣秀吉との戦が避けられなくなると大規模な工事を行なっている。翌年の小田原征伐では4千の兵で守備したが7万もの大軍に攻められ僅か1日で落城してしまう。現在は整備され、山中城の象徴である障子堀などが復元されている。

(三の丸堀)

(西の丸の土塁)

(西の丸畝堀)

(帯曲輪にある城址碑)

(山中城から見た風景。右から富士山・三島市街・駿河湾)

(本丸堀)

(天守櫓跡)

(豊臣秀次の家臣・一柳直末の墓。伊豆山中城を攻めて戦死した)

(伊豆山中城主・松田康長の墓)

(すり鉢曲輪)


30.一柳直末公首塚・・・駿東郡長泉町下窪。伊豆山中城で直末が戦死した際、敵方に奪われるのを恐れた旗持・留兵衛が当地に埋めたと伝わっている。留兵衛はこの地に永住し首を守ったという。
感想:目立たなくて探し回る必要があるかと思ったが、案内の看板がありすぐに辿り着けた。

(首塚遠望)

(首塚。石灯籠は子孫の伊予小松藩主・一柳頼親が1807年に奉納したもの)


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静岡県東部史跡巡り2011(2日目後半:沼津市・三島市)

22.対面石・・・駿東郡清水町八幡39。八幡神社の境内にある。1180年、源頼朝と奥州の平泉から駆け付けた義経が対面した際に腰掛けた石と伝わっている。

(拝殿。自動ドアになっており人が近づくと本殿側が見られる。自動ドアのある神社なんて初めて見たよ・・・)

(拝殿の中)

(対面石)


23.千本浜の首塚・・・沼津市本。本光寺の横に建つ。1580年、北条氏政と武田勝頼が戦った千本浜古戦場に建つ首塚。1900年に暴風雨で倒れた松の下から200体もの人骨が発見され、1954年の調査によって戦国時代当時の人骨と確認された。
感想:住宅街の一角にあるため、周辺に車を停めるところが無くて困っていたが、近くの千本浜公園に駐車場が完備してあった。考えれば当たり前のことだった。少し歩きますが、ここに停めるのが安全です。

(千本浜の首塚)

(駿河湾。この海でも両軍の水軍が戦ったらしい)

(人骨が発見された千本浜公園)

24.妙伝寺・・・沼津市東間門3丁目4ー4。日蓮宗。1604年の創建。三枚橋城主・大久保忠佐が菩提寺と定めた。大久保家に所縁の品が所蔵されている。

(山門)

(三河武士・大久保忠佐の墓。山門の横に建つ)

25.六代松碑・・・沼津市東間門3丁目。平維盛の子・六代(平清盛の曾孫)は平家の滅亡後に捕らえられこの地で処刑されそうになったが、文覚上人の懇願したため助けられる。だが、のちに文覚の謀叛に連座し相模で処刑されたため、従者が六代の首を松の根本に埋めている。19世紀初めに松が枯れてしまったため、これを惜しんだ人々によって1842年に碑が建てられた。
感想:妙伝寺の周辺をうろうろしていたらたまたま見つけた。


26.興国寺城・・・沼津市根古屋字古白。伊豆・駿河・甲斐を結ぶ要衝にある城。北条早雲が最初に城主となった城として知られる。早雲が伊豆に移った後はしばらく今川氏の城だったが、義元の死後、北条氏・武田氏の激しい争奪戦の舞台となり、武田家滅亡後は徳川家康の城となる。家康が関東に移封されると中村一氏の家臣が城主となるが、関ヶ原の戦い後は徳川家の手に戻り家臣・天野康景が城主となった。しかし康景が逐電したため廃城となる。
感想:現在、整備計画中らしいが、進んでいる様子が無い・・・。

(本丸)

(天野康景と北条早雲の碑)

(空堀)

(石火矢台。見た限りだと整備は途中で止まっている感じだ)


27.三島大社・・・三島市大宮町2-1。伊豆一宮。創建された年代は不明。源頼朝が源氏再興を祈願した。南北朝時代には足利尊氏が戦勝祈願をしている。

(鳥居)

(源頼朝旗揚げの碑)

(源頼朝・北条政子腰掛け石)

(神門)

(社殿)


 これてに本日は終了。三島駅前のホテルにチェックインし食事をする。

(三島コロッケ。美味しかったけど特別なところは無かった)

本日の感想:土地柄仕方がないけど鎌倉時代の史跡ばかりになってしまった。探せば戦国関係をもっと廻れたけど、そこまで思い入れのある武将もいなかったので観光に徹した。

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