撫養城(阿波岡崎城・妙見神社)

住所:徳島県鳴門市撫養町林崎字北崎

 標高62メートルの丘に築かれた城。築城年代は不明だが小笠原氏が居城とする。その後、三好氏の家臣・四宮氏が城主となり、長宗我部元親が阿波から三好の勢力を駆逐すると元親の家臣・真下氏が入った。四国征伐後は蜂須賀家の家臣・益田氏が守備する。1638年に廃城となった。
 近畿から追われた室町幕府10代将軍・足利義稙と14代将軍・義栄は当地で亡くなったと伝わる。
 現在は妙見山公園として整備されている。

(四宮氏の末裔と撫養の豪商・近藤利兵衛が1830年に建立した妙見神社の鳥居。天御中主神と事代主命を祀る。この辺りに二の丸があったとされている)

(妙見神社拝殿)

(本殿の周辺に残る石垣)

(本丸跡に建つ鳥居記念博物館。2010年3月で閉館している)

(二の丸跡から鳴門市内を望む)

(妙見神社から少し下ったところにある将軍塚(宝珠寺裏山古墳)。この辺りに足利義稙の墓があったと言い伝えられて来たが、西暦500年前後のものしか発掘されなかったため否定的な見方もある)

感想:鳥居記念博物館は如何にも昭和に建てました、という感じの模擬天守でした。


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