隠岐小丸城(高尾城攻めの際の陣城。斎藤刑部少輔重基の墓)

●隠岐小丸城
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町那久
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁など
標高:44メートル/比高:29メートル

 『陰徳太平記』には尼子氏の援助を受けた隠岐氏が高尾城を攻める際に築いた陣城との記載がある。

(全景。中央の手前の小山)
全景

(入口。廃校になった那久小学校で工事をしていたので、その瓦礫のようなものが落ちていた)
入口

(畑があった時の石垣か。『島根県中近世城館跡分布調査報告書 出雲・隠岐の城館跡』には遺構に『石垣?』と記載してあったが、これのことか)
石垣

(石垣の下に削平地があったが曲輪かどうか不明)
削平地

削平地

(石垣が終わると登れるようになる。虎口と言えば虎口だが・・・)
虎口

(石垣の上の削平地。元々の曲輪を利用した畑の跡に見える)
削平地

(最高地点。主郭か)
主郭

(上記には隠岐高尾城主・斎藤刑部少輔重基のものと伝わる墓がある。手前の五輪塔は高尾城の中腹にあったが土砂崩れで西の浜那久地区に埋まった後、昭和58(1983)年に土地整備の際に発見されたものを一緒に祀っているのではないかと思われる。この辺りは荒れており倒木もそのままなので過疎化で整備する者がいなくなったのだろう。後裔の殿山家が墓守をしていたとのことだが今はどうだろうか・・・)
斎藤刑部少輔重基

感想:私の節穴では遺構かどうか判別できない箇所がほとんどでした。