出雲城山城(ジャ山城。隠岐氏の本州の拠点の一つ)

●出雲城山城
住所:島根県松江市上本庄町
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切、竪堀、井戸跡
標高:71メートル/比高:33メートル

 戦国時代、隠岐守護代だった隠岐氏は中海のそばにある長海本庄・長海新庄(現在の松江市本庄町、上本庄町、新庄町)に領地を持ち出雲の拠点としていた。当城も隠岐氏の城と思われ、北にあるあん山城とセットで機能していたと思われる。

(北側にあるBの堀切)
Bの堀切

Bの堀切

Bの堀切

Bの堀切

Bの堀切

(曲輪Ⅰ。一番高い場所にあり、恐らく主郭)
曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

(曲輪Ⅱ)
曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱ

(曲輪Ⅲ。井戸跡があった)
曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

(曲輪Ⅳ。ⅢとⅣの間には堀切があった)
曲輪Ⅳ

曲輪Ⅳ

曲輪Ⅳ

曲輪Ⅳ

曲輪Ⅳ

曲輪Ⅳ

(Cの堀切。このまま南への竪堀になっている)
Cの堀切

Cの堀切

Cの堀切

(Ⅴの曲輪群。古墳の可能性が指摘されている)
Ⅴの曲輪群

Ⅴの曲輪群

Ⅴの曲輪群

Ⅴの曲輪群

Ⅴの曲輪群

(Aの広場。館跡ではないかと考えられている。Ⅴの曲輪群の端になる南東に、神木(?)を参拝するための参道があるため容易に降りられる。広場には祠があった)
Aの広場

Aの広場

Aの広場

(西から見た全景)
全景

参考文献:島根県の地名、島根県中近世城館跡分布調査報告書 出雲・隠岐の城館跡、

感想:南側は祠などの参拝のための道が整備されており行きやすいです。逆に北側は堀切の辺りまで整備がされておらず、お勧めできません。
 現在より中海が近くに入り込んでおり、この城も船で隠岐から中海に入ってきた隠岐氏が利用しやすいようになっていたと思われます。曲輪と堀切と単純な構造から隠岐氏の後に当地を支配した毛利氏の家臣・天野隆重や野村士悦も、あまり改築はしていないようです。

(縄張図)
縄張図



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