2012年四国史跡巡り(5日目その1:延命寺・今治城・猿飛佐助の像)

 2012年5月2日(水)、今日は今治市を廻るぜ! 大雨だけどテンションは高い。

33.延命寺・・・愛媛県今治市阿方甲636。四国八十八ヶ所霊場・第54番札所。720年、行基が建立した。弘仁年間(810~824年)、空海が嵯峨天皇の命で『圓明寺』と名付けられ勅願所となる。
 戦国時代、長宗我部元親の軍勢によって釣り鐘が強奪され船で運ばれそうになったが、鐘自ら海に飛び込んで利用されるのを拒否したという伝説が残る。
 何度も火災にあって建物が焼失し、1727年に現在地に移転した。近くにある第53番札所も「円明寺」のため勘違いされることが多く、明治に入って江戸時代からの俗称であった延命寺に改名しています。
感想:元親はこの辺りは攻めていないので、もしこの伝承が正しいのなら来島氏あたりが強奪していったと思います。その鐘は今でも瀬戸内海に沈んでいるようで寺にはありません。

(1704年に鋳造された梵鐘。墓地の横にある。太平洋戦争中、供出されそうになったが逃れている)

(山門。今治城の城門の一つだったが、城が取り壊された際に移築された)

(昭和になって鋳造された釣り鐘。山門を入ってすぐにある)

(越智孫兵衛の墓。孫兵衛は七公三民で苦しんでいた村の窮状を見て藩に願い出て六公四民に年貢を下げてもらった。そのため享保の大飢饉でも餓死者が出なかった)

(本堂。団体さんがいて賑やかだった)

(大師堂)

(大師堂の近くに建つ行基の供養塔)


 この後はバリィさんグッズ購入のため今治市内を走り回った。が、それは史跡巡りとは関係ないので割愛。後日、それだけをブログに載せようと思っています。

34.猿飛佐助の像・・・愛媛県今治市北宝来町1丁目。今治駅のロータリーに建つ。立川文庫から出版された「猿飛佐助」の著者の一人・山田阿鉄の出身地が今治市だったため建てられた。
感想:バリィさんグッズ購入のついでに撮った。


35.今治城・・・今治市通町3丁目1ー3。一回ブログに載せているので説明は省略。何かバリィさんグッズがないかな、と思って寄っただけ。

(駐車場から見た今治城)

(築城奉行を務めた渡辺勘兵衛から名を取った勘兵衛石。正面の巨石がそれ。前回、これを撮り忘れたのも再訪した理由の一つ)

(裏から見た鉄御門)

(今治城と言えばこの構図かな?)

(海水を引き込むための門である海水流入樋門)

(いつ見ても立派な石垣と濠)


 この後、今治はラーメンが有名らしいので駅近くのラーメン屋に行った。麺がソーメンみたいだったが、これが今治ラーメンだったのだろうか。

(お店)

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