2012年四国史跡巡り(4日目その5:太山寺・円明寺)

31.太山寺・・・愛媛県松山市太山寺町1730。四国八十八ヶ所霊場・第52番札所。587年、豊後の住人・真野長者が大阪に向かう途中、暴風雨にあったので無事を観音に祈ったところ高浜の岸に辿り着いて助かった。真野長者はその恩に報いるため豊後から大工を集めて一夜にして本堂を建てている。のちに後冷泉・後三条・堀河・鳥羽・崇徳・近衛天皇が十一面観音像を奉納した。戦国・江戸時代には松山市を治めた河野氏・加藤氏・松平氏の帰依を受けた。
感想:伊予湊山城の近くにあったので寄ってみた。ここはとにかく広く駐車場から結構歩いた。

(一の門)

(金剛力士像が安置されている国指定重要文化財・二王門。本瓦葺)

(納経所から本堂までかなり距離があるという八十八ヶ所では珍しいお寺。俺は御朱印を集めていないので寄らなかった)

(大日如来)

(三の門に続く階段)

(国宝・本堂。1305年に松山を治めていた河野氏が寄進した。本尊の十一面観音像は国指定重要文化財)

(鐘楼)

(取りあえず突いてみた)

(合格祈願でお馴染み(?)の聖徳太子堂)


 ちょっと早いけどこれにて史跡巡りは終わり。さて買い物してホテルに帰ろう、と中心地に向かっていたら八十八ヶ所のお寺が見えたので寄ってみた。

32.円明寺・・・愛媛県松山市和気町1-182。四国八十八ヶ所霊場・第53番札所。730年頃、行基が創建。その後、空海が荒廃していた建物を整備した。鎌倉時代に度重なる兵火で衰退したが、元和年間(1615~1624年)に須賀重久の手で現在地に移転される。1636年、覚深法親王の命で再建され現在の寺号となった。
感想:駐車場と境内の間が道が狭い上に交通量が多かった。ここに左甚五郎作の龍があり、行ないが悪い人が見ると目が光るらしいが見るの忘れた・・・。

(仁王門)

(マリア観音らしき像が刻まれているキリシタン灯籠。この地方では隠れキリシタンが多かったという)

(大師堂)

(中門)

(本堂。1924年にシカゴ大学のスタール博士が遍路の最中、この寺で阿弥陀如来を安置している厨子(仏像・舎利・経典などを安置する箱形の仏具。多く正面に両開きの扉をつける)に慶安3年(1650年)の銘がある銅板納札を発見した)


 今度こそ終了。その後、バリィさんのチーズケーキや夕食を買ってホテルに戻るとのんびりと過ごした。

本日の感想:今回は時間に余裕のある予定を組んだので一箇所をじっくりと見て廻った。明日はいよいよ今回のメインの一つ、今治市! バリィ! バリィ!

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