三河百々城

住所:愛知県岡崎市百々町

 徳川家の家臣・青山氏の居城。青山氏は家康・秀忠に仕え関東総奉行として活躍した忠成が良く知られている。東京の青山の地名は忠成の屋敷跡と伝わる。
 現在は子孫の丹波篠山藩主・青山忠高が明和7年(1770年)に建てた碑が建つのみである。

(城趾碑)

(城趾碑その2。逆光で見づらいが亀の上に乗っている)

(碑の裏にある墓。詳しいことは不明)

(北側から見た全景)

感想:碑に行くには個人宅を通るため断ってから入りましょう。
 忠成(忠成の父・忠門?)の弟が百々町に残り清水姓を名乗ったため、この周辺には清水姓が多いそうです。


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三河百々城」への2件のフィードバック

  1. 小さいころに遊んだ場所です。
    幼いとき亀の上に石があるのが不思議でよく覚えています。
    こんな居城とは知りませんでした。
    ちなみにこの近くに住む清水家は友人だったりもします。

    • 初めまして。

      近所の史跡って大人になってみないと分からないことがありますよね。
      自分は家康公検定で存在を知りました。

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