楯山城(狩川城)

住所:山形県東田川郡庄内町狩川字楯山400

 築城年代は不明。武藤氏(大宝寺氏)や上杉氏の城だったが、1601年に庄内地方を与えられた最上義光の家臣・北館大学利長が入る。1615年に廃城となった。
 現在は楯山公園となっている。

(主郭)

(北館大学の像。大学は1612年に立谷沢川から水を引くため北館大堰を造る指揮を執り、原野の開発に成功した)

(北館大学を祀る北館神社の鳥居)

(北館神社の社殿)

感想:遺構があったようなのですが気がつきませんでした。


写真の提供についてはこちらをクリック


羽黒山(出羽三山神社)

住所:山形県鶴岡市羽黒町手向7

 祭神は伊氏波神・倉稲魂命。羽黒山(標高414メートル)は、月山(標高1984メートル)、湯殿山(標高1504メートル)の出羽三山の中核となる霊場である。月山と湯殿山は冬季は積雪のため参拝が不可能なため山頂に羽黒山三神合祭殿が創建されている。
 592年、崇峻天皇が蘇我馬子に殺された際、息子の鉢子皇子は出羽に逃げ当山に入り開山したという。鎌倉・室町時代には修験の山として栄えた。当初は真言宗であったが
、江戸時代に天台宗となる。
 明治時代の神仏分離令で祭礼を仏式から神式に変えている。

(出羽三山神社の鳥居)

(元禄年間(1688~1704年)、出羽矢島藩が寄進した随神門。ここから境内に入る)

(須佐之男命を奉っている天地金神社。1779年に再興された)

(祓川。昔はここで身を清めてから参道を進んだという)

(須賀滝。水量がほとんどなかった。先日は雨だったのに…)

(羽黒山、月山、湯殿山の碑。羽黒山は現世、月山は死、湯殿山は再生を司るという。この後も山形県内の寺社で同様のものを見た。昔は県内(出羽地方?)での三山の信仰が篤かったことが推測される)

(国の天然記念物の爺スギ。樹齢約1000年で高さ48メートルがある)

(承平年間(931~938年)、平将門が創建し最上義光が修造した五重塔。国宝である。ここから長く急な参道を進むと山頂に行けるのだが面倒だったので一回戻り、有料のスカイラインを使って車で行った)

(山頂の鳥居)

(羽黒山東照宮)

(羽黒山三神合祭殿。工事中だった)

(合祭殿の前にある鏡ヶ池)

(重要文化財の大鐘)

(霊祭殿。三神合祭殿の後にここで先祖や所縁の方の霊を供養する)

感想:鉢子皇子を祀る鉢子神社に行き忘れました…。
 ここは他にも多数の建物があり歴史博物館には社宝が展示されています。徒歩だと随神門から山頂まで2キロ・2446の石段があり、特に一~三の坂と呼ばれる坂は大変らしいです。その中でも二の坂は「油こぼしの坂」と呼ばれ、かなり急だそうです。


写真の提供についてはこちらをクリック


出羽藤島城(直江兼続所縁の城)

住所:山形県鶴岡市藤島古楯跡

 和銅年間(708~715年)、出羽国府が置かれた際に築かれたと推測されている。1351年、北畠顕信が後醍醐天皇の孫・守良親王を奉じて東北における南朝方の拠点となった。
 戦国時代には庄内地方を支配した武藤氏(大宝寺氏)の重臣が城主となったが、武藤氏が滅ぶと最上義光や上杉景勝が支配している。1590年、太閤検地に反対した地侍が一揆を起こし籠城したため、直江兼続が鎮圧しようとしたが城を落とすことはできなかった。関ヶ原の戦い後は義光の家臣が入ったが、1622年に最上家が改易となったため廃城となる。
 現在は本丸跡に八幡神社が建っている。

(八幡神社の鳥居前に建つ城址碑。城は鶴岡市の指定史跡になっている)

(八幡神社の鳥居)

(鳥居と道路の間にある水堀跡)

(八幡神社の拝殿。かつて鳥居と拝殿の間(写真を撮影している辺り)には水堀があったという)

(神社の社殿の周りに残る土塁)

(土塁その2)

感想:駐車場が無かったと思うのですが、どこに駐めたのか覚えていません…。


写真の提供についてはこちらをクリック