出羽藤島城(直江兼続所縁の城)

住所:山形県鶴岡市藤島古楯跡

 和銅年間(708~715年)、出羽国府が置かれた際に築かれたと推測されている。1351年、北畠顕信が後醍醐天皇の孫・守良親王を奉じて東北における南朝方の拠点となった。
 戦国時代には庄内地方を支配した武藤氏(大宝寺氏)の重臣が城主となったが、武藤氏が滅ぶと最上義光や上杉景勝が支配している。1590年、太閤検地に反対した地侍が一揆を起こし籠城したため、直江兼続が鎮圧しようとしたが城を落とすことはできなかった。関ヶ原の戦い後は義光の家臣が入ったが、1622年に最上家が改易となったため廃城となる。
 現在は本丸跡に八幡神社が建っている。

(八幡神社の鳥居前に建つ城址碑。城は鶴岡市の指定史跡になっている)

(八幡神社の鳥居)

(鳥居と道路の間にある水堀跡)

(八幡神社の拝殿。かつて鳥居と拝殿の間(写真を撮影している辺り)には水堀があったという)

(神社の社殿の周りに残る土塁)

(土塁その2)

感想:駐車場が無かったと思うのですが、どこに駐めたのか覚えていません…。


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