松明院(大給松平家の菩提寺)

住所:愛知県岡崎市細川町根古屋123

 浄土宗。大給松平家の菩提寺。1368年、三河大給に小さな堂が建てられたのが始まり。1510年、大給松平家の乗元が再建して弟・本公を開山とし寺号を称名院とし、乗元没後に戒名から松明院と改められた。1580年、現在地に移転される。

(1837年に再建された総門)

(三十三観音)

(1826年に再建された鐘楼門)

(本堂)

感想:有名な鉄砲狭間のある土塀を見るのを忘れました。




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奥殿陣屋(奥殿藩藩主廟所)

住所:愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10

 大給松平家の乗真が豊田市の大給にあった陣屋を1707年に奥殿に移したのが始まり。1863年に信濃の田野口に移るまで藩の中心地となった。明治維新後の1876年に陣屋は取り壊され書院は龍渓院の庫裡として移転されたが、1986年に再移転されている。

(書院)

(蓬莱の庭)

(土塁)

(奥殿藩藩主廟所。徳川家康に仕えた松平真次から十代・乗利までの墓がある。さすがにここまで来る人は皆無だった)

感想:岡崎市内では有名な観光地なので書院や花ぞの苑は結構な人がいました。




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誓願寺(戸田氏墓所)

住所:愛知県豊田市上郷町御所名残150

 1330年、藤原誠月の創建で清流院という禅寺だったが、1545年に浄土宗に改め現在の寺号となる。南側にあった三河上野城主・戸田氏の厚い保護を受けた。
 戦国時代、当寺には枯れない井戸があった。ある日、武士がその水を所望したため飲ませてやったところ、住職に元康と記載してある封書を渡して三河上野城主に届けるように言って立ち去った。のちに元康は徳川家康と改名し天下を獲ると、これは井戸水の御利益と言って誓願寺の土地の一部の年貢を免除をしたという。

(山門)

(参道)

(戸田氏墓所。実興、氏一、宗光、憲光の墓。宗光と憲光は三河田原に移って本拠地としたが、当寺にも墓がある)

(戸田氏墓所その2。上記の写真には三基しかなく、残りの一基はこの中にあるらしいのだが、どれか分からなかった)

感想:家康所縁の井戸は現在は無いようでした。昔はこの辺りの台地から満潮時の海潮を見ることができそうです。




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