●岡益の石堂
住所:鳥取県鳥取市国府町岡益
駐車場:有り
創建年代・目的共に不明。7世紀頃に建てられた、古代ギリシャの建築技法を使用している、などの説がある。高さ1メートルの壇の上の中央に高さ2メートルの心注が建っており、その上に笠石が重ねられている。周囲には壁石が囲んであり、日本にはこのようなものが無く朝鮮半島に類似したものがあるという。
ここは安徳天皇生存説と関係がある。文治元(1184)年、安徳天皇は壇ノ浦の戦い後因幡の賀露港付近に上陸し、光良院(石堂に隣接する長通寺の前身)の住職に案内され姫路(八頭郡八頭町姫路)に移り住んだ。しかし文治3(1187)年に急病で亡くなったため、墓として石堂が建てられたという。因幡誌には、安徳天皇は伯耆の御来屋港に上陸し倉吉市を経由して大草谷に隠れたが文治2(1186)年に亡くなり、墓として建てられたとある。地元には他にも武内宿祢の霊廟との伝承もある。
明治28(1895)年に宮内庁が安徳天皇御陵参考地として指定おり、現在も宮内庁の管轄である。
感想:不思議な建築物があると聞いて行ってみました。地元では「謎の石堂(いしんどう)」と呼ばれているそうです。
この辺りに安徳天皇が逃れてきた可能性はあるかもしれませんが、この特異な形の建築物が墓ということは無いでしょう。
参考文献:鳥取「地理・地名・地図」の謎、とっとり文化財ガイド2017、鳥取県の地名、いなば・ほうきの墓碑めぐり、など