2007年10月6日(土)、宇都宮で目が覚める。ホテルをチェックアウトして最初に行ったのが、宇都宮城。釣り天井付きで有名なところである。
同行者が「復元しすぎだろう」と言っていたが、資料館を兼ねているから仕方がないかな(この日は行ったのが早すぎて閉まっていた)。
続いて向かったのが、那須烏山市にある烏山城。織田信雄が流された土地と聞いて気になっていたので。宇都宮から40分ほどで着く。草ボウボウの中をかき分け城を散策する。有名だからもっと整備されているかと思っていたけど、まったくされていないな・・・。遺構はよく残っていたので、山城好きにはたまらん場所だろうけど、ちょっときつかった。
ズボンに草の種をつけながら城を後にすると、近くにあった那須家のお墓がある天性寺に向かう。が・・・間違ってそばにあった泉渓寺に行ってしまった。お寺の方に「那須家のお墓はどちらですか?」と聞いたら「あそこに見える寺にあるよ」と言われて間違いに気がつきました。情けない・・・。
気を取り直して天性寺に行く。ここは信雄が流された際に織田家の菩提寺だったらしく、信長の位牌があると案内板(?)に書いてあった。天下統一直前まで行った信長の位牌が亡くなってわずか8年でここまで移動か・・・。
これで那須烏山市は終わり。続いて同じ栃木県にある茂木(もてぎ)町に行く。町内で最初に行ったのは茂木城。う~ん・・・特に何もなし。すぐに終了。
ここで12時になったので、城下にあった「まんぷく食堂」に行ってマーボーチャーハンを食べた。通り道にあったので寄っただけだったのだが、これは当たりだった。チャーハンにマーボーがかかっているなんて料理は初めて食べた。
食事に満足した後に行ったのが能持院。茂木城主だった細川家の菩提寺で、細川興元もここに眠っている。今日はここで野外映画があって「レミーのおいしいレストラン」をやるそうな。夜までいたら見るのもいいんだけどだなあ・・・。
(細川家の墓所。お墓は墓石がなくその代わりに杉の木を植えて灯篭を建てそこに没年号を記すという変わったもの。私も初めて見ました。ちなみに興元の墓の杉の木は枯れて新しいのが植えられていました)
これで茂木町は終わり・・・にしようとしたが、茂木城にあった案内板に真岡鉄道のSLがあるというのを見て、行こうということになり、茂木駅に向かった。ちょうどSLが停まっており撮影。
これで本当に茂木町は終わり。そこからちょっと移動して今度は益子町に移動する。30分ほどで益子町の地蔵院に到着。
(地蔵院にある宇都宮家の墓所。鎌倉時代から大正時代までの33代に渡る宇都宮家の墓がある。歴史が長い・・・)
それから地蔵院をぶらぶらと見て回る。この日は風が心地よくて「このまま地蔵院にいて半日ほどゆっくり本でも読んでいたいなあ」という気分になった。しかし予定もあり、そうは言ってられないので次の目的地に向かった。
北関東(というより行ったことがない東日本の県全部)は、ずっと行ってみたかったので、ちょっとがんばって行ってみました。
偕楽園はいい時期にいけば、すばらしい場所なんでしょう。人も多そうですが・・・。
お疲れ様です。
愛知県から、北関東まで来られたんですね。
天気がよくて、なによりでした。
偕楽園は、秋なら萩、春なら梅ですね。
私は近年、偕楽園へ行ってないですが、今はなんの花も無いのでしょうね。