宇津山城(東三河攻略の拠点)

住所:静岡県湖西市入出

 1507年、今川氏親が遠江・三河国境の監視と攻略の拠点として築城したといわれる。当初、曳馬城(のちの浜松城)にその役目を担わせようとしたが、城の規模が小さく浜名湖もあるため当城を築いたという。
 桶狭間の戦い後、徳川家康が今川家から離反し東三河を手中に収めると遠江への攻撃を開始。当城も1569年に家康の手に落ち、家康の家臣・松平家忠が入り拡張工事を行なった。
 城は正太寺を挟んで東西に別れている。

(曲輪の石垣)

(曲輪の石垣2)

感想:遺構近くまで車で登ることが出来るため山城にしては楽でした。


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