九州道の記(きゅうしゅうみちのき)とは丹後田辺城に隠居していた細川幽斎が豊臣秀吉の九州攻めに従軍するため、天正15年(1587年)4月に出発し7月に難波に戻るまでの日記である。その中でも私の地元である島根県(出雲・石見)の行程を辿ってみる。
・細川幽斎という人物
生没年:天文3年(1534年)~慶長15年(1610年)。戦国時代の武将で一流の文化人。三淵晴員の次男で名は藤孝という。当初は室町幕府に仕えるが、のちに織田信長の家臣となった。天正10年(1582年)に家督を嫡男の忠興に譲り幽斎と号する。関ヶ原の戦いで東軍についたことから西軍に田辺城を攻撃されるが古今伝授の才能を惜しまれ後陽成天皇の勅命で講和している。
・天正15年(1587年)当時の島根県
安芸の毛利輝元が全土を支配していた。毛利氏は豊臣秀吉に従っており戦乱もなく平穏だった。
(今回の旅のイメージキャラクター・幽斎くん。高橋コヤマさんからの頂き物です)
参考文献:新編日本古典文学全集48(中世日記紀行集)、細川幽斎・忠興のすべて、戦国時代人物事典