伊勢寺(和田惟政の墓)

住所:大阪府高槻市奥天神町1-1-19

 曹洞宗。三十六歌仙の一人・伊勢姫が晩年に当地で草庵を結ぶ。伊勢姫が亡くなった後に天台宗の寺となったという。戦国時代にはキリシタン大名・高山右近によって焼かれた。寛永年間(1624~1644年)に曹洞宗の寺として再建される。

(山門)

(豊川稲荷)

(伊勢姫の和歌、「難波潟 みじかき葦の ふしの間も逢はでこの世を 過してよとや」を刻んだ歌碑)

(筆塚)

(本堂)

(六地蔵尊)

(墓地の中腹に建つ伊勢姫の廟堂)

(伊勢姫の廟堂の左を更に上がったところに建つ和田惟政の墓(中央)。惟政は高槻城主だったが白井河原の戦いで池田勝正に敗れ戦死した。享保年間(1716~1736年)、高槻城改修の際、墓石が見つかり当寺に移された。墓はご覧の通り、かなり風化していた)

感想:上宮八幡宮の北側に位置するのですが、八幡宮が南に下る参道しかないため、かなり遠回りをしました。住宅街にあるため道は分かりづらいですが、案内があるため迷うことはありませんでした。


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