新発田城(溝口氏の居城)

住所:新潟県新発田市大手町6丁目

 1598年、新発田に転封された溝口秀勝が新発田氏の居城(古丸)に築城を開始、1654年に完成する。二の丸が本丸を取り囲み、三の丸が南に突きだしているが、これは新発田川の自然堤防上に位置し南以外は湿地に囲まれていたため南側の守りを固めたためである。
 異名が多くあり、本丸が舟のような形をしていることから「舟形城」、周りに菖蒲が咲いていたことから「菖蒲城」、狐が縄張りのヒントを与えたことから「狐尾曳ノ城」などがある。
 明治維新で城の建物がほとんど取り壊され堀も埋められたが、一部は現存している。二の丸と本丸の半分は戦前まで歩兵第16連隊が、戦後は陸上自衛隊が使用している。

(新発田城を復元しよう、の旗。2001年に新発田城復元の会が設立され、櫓の復元をしている)

(新発田城全景。手前が復元された辰巳櫓)

(表門前に建つ堀部安兵衛の像。父は新発田藩士だったが浪人となった人物で、安兵衛も新発田城下で生まれている)

(土塁跡)

(1732年に再建された現存の本丸表門。国指定重要文化財である)

(1998年、市制50周年を記念して建てられた溝口秀勝の像)

(本丸の内部)

(石垣)

(鉄砲櫓跡に移築された旧二の丸隅櫓。1668年に焼失したが再建された。これも現存で国指定重要文化財である)

(二の丸跡の一部。現在は公園の駐車場になっている)

(2004年に復元された三階櫓。陸上自衛隊新発田駐屯地になっているため入ることはできない)

(城址碑と日本百名城の碑)


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