高知・愛媛8泊9日史跡巡りの旅2010(最終日:萩森城・後藤又兵衛の墓)

 5月30日(日)、いよいよ最終日。今日はあまり無理をせず少しだけ回って帰ろう。明日から仕事だし。

32.萩森城・・・八幡浜市大平。宇和郡北部を支配した宇都宮氏の居城。曲輪・堀などが残る。
感想:ここは車道が狭く、その上萩森城の場所が分かりづらくて本当に苦労した。聞き回ってやっと萩森城に着いて帰ろうとしたところ・・・萩森城が見える坂の辺りに続々と車が集まって来て説明会のようなものが始まった。
 これはもしかして・・・と思って近寄って話しかけてみると、偶然、八幡浜史談会の方々が萩森城についての説明されている最中だった。おかげで宇都宮房綱の霊廟も分かった(その前で説明会をされていた)。あと資料ももらった。ありがとうございます!
 現地で一緒に説明を聞きたかったが時間が・・・それ以前に申し込みをしていないから参加出来ないけど。

(萩森城)

(宇都宮房綱の霊廟)


33.竜王城・・・内子町五十崎甲1524-1。宇都宮氏の一族・五十崎(いかざき)氏の居城。1577年に長宗我部軍に攻められている。現在は竜王公園となっており遺構はない。

(園内にある展望台)


34.菅田城・・・大洲市菅田。宇都宮氏の重臣・大野直之の城。直之は主家を追い出し長宗我部氏に通じた。伊予の梟雄として知られているが謎の多い人物である。菅田城は曲輪・堀切・直之の供養碑などがある。
感想:散々探し回って、この辺りだろうっていうところまでは来たが辿り着けず全景だけ写して帰った。歩き回って運動にはなったが、収穫はそれだけTT

35.広瀬神社・・・内子町本川字宮原。大除城主・大野直昌(直之の兄)が戦勝祈願を行ない、長宗我部の大軍を打ち破ったという逸話がある。

(本殿)


36.大除城・・・久万高原町菅生槻之沢。河野氏の家臣・大野直昌の城。四国征伐後、下城し廃城となった。曲輪・石垣・堀切などが残る。
感想:ここも場所を間違えて結局行けなかった・・・。近所の方に聞く元気もなかったので、そのまま帰った。松山市から近いからまた来ることもあるさ。

37.大智院・・・伊予郡松前町大字筒井315。後藤又兵衛の墓と言われるものがある。戦死したと見せかけ旧友・加藤嘉明を頼って松前地区に落ち延び農民となって地域の開発に尽力したという。
感想:真偽のほどは定かではないが興味があるので来てみた。

(後藤又兵衛夫妻の墓)


 そこから高速に乗って愛知県まで戻った。遠かった・・・。途中、何度も休憩して朝の3時頃にようやく着いた。
今回の感想:移動は多いが実りの少ない史跡巡りだった。事前準備が悪すぎた>< 分かりづらい史跡が多かったが、それにしてもミスが目立った。山城を中心に行くときはもう少し調べてから行くようにしよう。
 一番の目的である南予の雰囲気が分かったという収穫があったので旅自体は良しとするか。

写真の提供についてはこちらをクリック



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA