高知・愛媛思いつき史跡巡り2011(1日目前半:山内神社・称名寺・播磨屋宗徳の墓)

 5年振りくらいに大阪の友達・N君と話しているうちにどこか行こうということになった。長宗我部歴代の新史料8点の展示が高知市であるから行きたいとお願いしたら、あっさり目的地決定。
 2011年1月28日(金)、近鉄を使って大阪に移動。それからなんやかんや乗って友達と合流し一泊させてもらう。
 29日(土)、友達の車で高知県に向かう。

(南国SAで食べたアイスクリン・龍馬の海。普通のアイスクリンだった。何でも龍馬ってつければいいってもんじゃないと思うんだけど・・・)

1.土佐山内家宝物資料館・・・高知市鷹匠町2ー4ー26。土佐藩主・山内家に伝来した歴史資料・美術工芸品を展示している。
感想:2006年に入館した時より綺麗になっていた。メインの長宗我部歴代の書状をじっくりと見た。内容については詳しくまとめている人がいると思うので、検索してそちらを参考にして下さい。
「この盛親って奴、いらちっぽいな」
 N君が盛親の書状を見た時のその言葉が印象に残っている。急いでいたのか殴り書きっぽく見えた。

2.山内神社・・・高知市鷹匠町2-4-65。土佐山内家宝物資料館の隣にある。最後の土佐藩主・山内豊範が先祖を祀るために建てた。
感想:N君は「親戚で高知に嫁いだ子がここで結婚式を挙げた」と言っていた。他の人から同じような話を聞いたことがあるので、ここで結婚式を挙げるのが高知では定番なのだろう。

(拝殿?)

(山内容堂公銅像)


3.称名寺・・・高知市升形8ー19。江戸時代までは高知市潮江にあり、金子元宅の娘・かねの墓があったが、廃仏毀釈で廃寺。その後、現在の場所に再建された。また升形にはかねの屋敷があったと伝わっている。現在は何も残っていない。
感想:住職さんからいろいろなお話を聞けた。ファンの間では有名かもしれないが、元親は雪が降る土地に憧れて生前に「雪蹊恕三」という法名をもらったらしい。真偽の程は不明だが、興味深い逸話だった(高知も山間部は雪が降るよ、という突っ込みは無しでお願いします)。

(山門)


4.播磨屋宗徳の墓・・・高知市瀬戸東町1丁目。横浜小学校の西側。宗徳は元親が讃岐に侵攻した際、兵糧を調達した功で土佐に招かれる。山内家の治世になると高知市街に移り、櫃屋との間に有名な播磨屋橋を架けた。
感想:案内版はあるものの墓までの道は舗装されておらず、犬のウ○コが至る所に落ちていた。播磨屋橋は観光名所になっているのに、架けた当人の扱いがあまりよろしくないのが悲しい。

(播磨屋宗徳記念碑。右の坂から下りてきた)

(播磨屋(高島)家累代の墓。どれが宗徳さんの墓かは不明)


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