杜屋神社(長門国三ノ宮。赤間関(下関)の代官・堀立直正が再建)

●杜屋神社
住所:山口県下関市豊浦町黒井1541

 主祭神は三穂津姫神。長門国三ノ宮。白雉2(651)年に大和の杜屋村から勧請して創建されたという。室津地区(同町室津)などの中心的な神社だったようで長門国内の領主から寄進があった。永禄10(1567)年、堀立直正が造営を行った。明治42(1909)年に二つの八幡宮を合祀した。寺宝に木造随身倚像や杜屋神社文書(共に下関市指定有形文化財)などがある。

(鳥居)
鳥居

(黒井川にかかる厚母橋)
厚母橋

(神門)
神門

(拝殿)
拝殿

(幣殿と本殿)
幣殿と本殿

(歌碑や忠魂碑など)
歌碑や忠魂碑

(境内の空き地。神事などを行う場所だろうか)
境内の空き地

感想:住宅街から神社に入る道が狭くて怖かった思い出があります。



仏原山西楽寺(毛利秀包の墓)

●仏原山西楽寺
住所:山口県下関市豊北町滝部3099

 浄土真宗。天正元(1573)年、浄西を開基とした。慶長6(1601)年、助西は教えを広めるためには毛利氏館の近くが最適と考え寺を移転した。延享5(1748)年、現在地に移転。明治4(1871)年に本堂を再建している。

(入口)
入口

(山門。置いてある人形は何の意味があるのだろうか)
山門

山門

(親鸞さま童像)
親鸞さま童像

(本堂)
本堂

(鐘楼。鐘は幕末の下関戦争で供出、戦後は第二次世界大戦の犠牲者を弔うために寄進されている。現在の梵鐘は昭和41(1966)年に鋳造された)
鐘楼

(毛利秀包(小早川秀包)の墓)
毛利秀包(小早川秀包)の墓

(吉敷毛利家の重臣・白井兵庫の墓。秀包没後も幼い元鎮を補佐していたが慶長16(1611)年に殉死した。おそらく元鎮が成長して二十歳を過ぎたため、補佐がなくてもやっていけると考えたのだろう)
白井兵庫の墓

(瑞光公神道碑)
瑞光公神道碑

(毛利秀包の墓所全景)
墓所全景

感想:庭が綺麗だったそうですが秀包の墓に参拝することで頭が一杯で忘れていました。



関亀山引接寺(小早川隆景の供養塔)

●関亀山引接寺(いんじょうじ)
住所:山口県下関市中之町11-9
駐車場:あり

 浄土宗。本尊は阿弥陀如来像。天文年間(1532~55年)頃、播磨の住民・忠誉が豊前の黒田村(福岡県京都郡みやこ町勝山黒田)に創建したと伝わる。慶長3(1598)年、小早川秀秋が養父・隆景の遺言により現在地に移転した。昭和20(1945)年6月の下関空襲で伽藍の大半が焼失した。

(山門。天井の彫刻の龍は左甚五郎の作と伝わり、近世後期に寺を抜け出して人々を襲ったが武士により退治されたという伝承があり、胴の部分が真っ二つになっている。後で知ったので写真はない)
山門

(戦後に再建された本堂)
本堂

(紫雲殿)
紫雲殿

(石仏)
石仏

(五重の石塔は秀秋が隆景の遺髪を埋めた供養塔だと伝わる)
隆景の遺髪を埋めた供養塔

感想:毛利家菩提寺同格の毛利家が長府毛利家と毛利宗家のどちらを指すのか私では分かりませんでした。