出雲 安土山城(尼子再興軍に利用されたと思われる城)

●出雲 安土山城
住所:島根県松江市坂本町
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、掘切、竪堀
標高:81メートル/比高:27メートル

 城史は伝わっていない。永禄12(1569)年8月、尼子再興軍が出雲に侵攻した際に多賀元忠らが(月山富田城ヵ)籠城で忠義を示した恩賞として、毛利家に対し尼子再興軍に寝返った米原綱寬の領地だった坂本百貫などを賜りたいと願い出ている。同年12月には坂本の地の支配を湯原春綱が毛利家に願い出て、戦乱が収まればという条件で認められている。
 尼子再興軍の拠点だった真山城から東へ5キロの位置にあるため、主将・尼子勝久らが出雲から撤退するまで坂本地区も支配下にあったと思われ、安土山城も再興軍が利用されたと考えられる。

(全景。正面の個人宅及び裏山が城域である)
全景

(個人宅を通る必要があり山も家の方の土地のため許可を取って入った。個人宅の東西も段差があり、北側には写真の通り切岸がある。ちなみに島根県中近世城館跡分布調査報告書には個人名がしっかり載っている。時代だな・・・)
切岸

(曲輪(1)。場所は下にスクロールすると記載のある縄張図を参照)
曲輪(1)

曲輪(1)

曲輪(1)

(曲輪(2)。土塁があった)
曲輪(2)

曲輪(2)

曲輪(2)

(西の一段下がった場所にある曲輪(3)。素戔嗚社(だったと記憶している)が建っていた)
曲輪(3)

(Aの箇所)
Aの箇所

Aの箇所

(Bの掘切と横堀。掘切にはゴミが廃棄してあった)
Bの掘切と横堀

Bの掘切と横堀

Bの掘切と横堀

Bの掘切と横堀

(西にある池。地元の方の話だと猪が悪さをして水が流れなくなって水位が下がっているらしい。水の手を断つ猪)
西にある池

(Cの周辺。腰曲輪になるのだろうか)
Cの周辺

(北端の尾根。ネットで検索すると、ここも城域として縄張図を書いている方もおられた)
北端の尾根

(曲輪(4))
曲輪(4)

曲輪(4)

(曲輪(5)。一番高い場所にあるが主郭というには削平も甘く狭い。ここに個人の方の墓がある)
曲輪(5)

曲輪(5)

曲輪(5)

(曲輪(5)の墓に参拝するために作られた道だろうか。虎口にも見えるが)
道

(曲輪(6)。これも腰曲輪だろうか)
曲輪(6)

参考文献:島根県の地名、松江市史 史料編4「中世2」、出雲尼子史料集 下巻、島根県中近世城館跡分布調査報告書

感想:個人宅を通らなくても行く道はありますが不審者として通報される可能性が高いため、やめておいた方がいいです。
 私は許可をもらえましたが断られることもあると思います。その時は諦めましょう。「他の人は許可をもらって入ったとネットで見た!」と主張しても、家の方の許可はもらえないでしょうから。
 ここで猪の糞を踏んだらしく臭いが取れず車の中で悶絶していました。

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図



出雲 加賀要害山城(尼子再興戦で毛利軍が利用)

●出雲 加賀要害山城(尼子再興戦で毛利軍が利用)
住所:島根県松江市島根町加賀
遺構:曲輪
標高:28メートル/比高:22メートル

 永禄12(1569)年から始まった第一次尼子再興戦で毛利軍が築城(もしくは修築)した。

(入口の案内板。この通りだったら良かったのだが・・・)
入口の案内板

(曲輪(2)。場所は下の縄張図を参照)
曲輪(2)

曲輪(2)

(曲輪(1)。ここに来るまでド藪で大変だった)
曲輪(1)

曲輪(1)

曲輪(1)

曲輪(1)

(主郭に行こうとしたが藪が酷すぎて諦めた)
主郭

主郭

(加賀港を望む)
加賀港

(加賀城の主郭から加賀要害山を望む)
加賀地区

感想:再び整備されたら行こうと思っています。
 城の歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図



出雲 玉造要害山城(湯氏の居城)

●出雲 玉造要害山城
住所:島根県松江市玉湯町玉造
遺構:曲輪、土塁、竪土塁、竪堀、櫓台、井戸跡
標高:91メートル/比高:69メートル

 当地を治めていた湯氏の居城だった。

((1)と(2)にある削平地。下に縄張図があるので場所はそれを参照。私の目では後世に畑になった跡か遺構かは分からないが、削平地が狭い上に段差が切岸のようなため曲輪群のような気がする)
削平地

削平地

削平地

(曲輪(3))
曲輪(3)

(曲輪(3)の北にある土塁)
土塁

(曲輪(4)。分かりづらいかもしれないが土塁があった)
曲輪(4)

曲輪(4)

曲輪(4)

(曲輪(5)。標柱には二ノ平とある。曲輪というより帯曲輪だな)
曲輪(5)

曲輪(5)

曲輪(5)

(曲輪(5)と(6)の間にある土塁? (6)に侵入してきた敵を(7)の曲輪の味方と一緒に食い止めるためなのだろうか)
土塁

(曲輪(6)。ここに竪堀があったらしいのだが見ていない。東に土塁があった)
曲輪(6)

曲輪(6)

曲輪(6)

(曲輪(7)。ここから主郭の曲輪(8)に直接行ったが切岸が急できつかった。素直に曲輪(5)まで戻って登山道を行けば良かった)
曲輪(7)

曲輪(7)

(主郭の曲輪(8)。一ノ平らしい。東に土塁と櫓台があった)
曲輪(8)

曲輪(8)

曲輪(8)

(曲輪(9)。井戸跡がある)
曲輪(9)

曲輪(9)

(主郭から続く竪土塁)
竪土塁

(Aの竪堀)
Aの竪堀

(卍の地点に伝・湯佐渡守の墓があったが倒木か大雨で壊れてしまったようだ。上が2018年で下が2024年9月)
伝・湯佐渡守の墓

伝・湯佐渡守の墓

感想:『出雲の山城』には初心者向けとの記載があるが、それは整備されていた頃だろう。今は荒れているところが多く、多少は山城に慣れてきた人以上向けという感じだ。
 城の歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。

(縄張図)
縄張図