長野・上越史跡巡り2010(2日目:上杉景虎の供養塔・鮫ヶ尾城・飯山城)

 2010年5月3日、上越市で起床。早めの朝食を取ると早速史跡巡り。

7.勝福寺・・・新潟県妙高市大字乙吉496。この辺りが上杉景虎が亡くなった鮫ヶ尾城の館跡だった。景虎の石像及び供養塔がある。
感想:雪がないねえ(当たり前か)。2年半前に来たときはとんでもない状態だったので。

(2年半前の勝福寺)

(現在)

8.鮫ヶ尾城・・・新潟県妙高市宮内。上杉景虎終焉の地。堀切、曲輪などが良好に残っている。二ノ丸跡から炭化した握り飯が見つかったニュースは記憶に新しい。
感想:炎の蜃気楼という小説のファンの聖地らしい。ネットで調べたら炎の蜃気楼ファンのことを「ミラジェンヌ」というらしいが本当かどうか定かではない。
 南の入り口から本丸まで20~30分はかかった。

(堀切・・・だと思う)

(本丸跡。遅咲きの桜を見に地元の人が来ていただけ。景虎ファンは見かけなかった)

(本丸から見た上越方面)

9.二本木駅・・・新潟県上越市中郷区板橋552。史跡ではない。一説によるとこの辺りで森長可は本能寺の変を知ったらしい。ここで瞬時に判断して美濃まで逃げ帰った長可はさすが。
感想:普通の地方駅。
「自動券売機にお金を入れてるからしばらく外に出ていて」。
 駅員さんに言われて素直に出ました。そういうのは夜にやるものかと思っていたら昼に補充するのね。

(駅舎)

 これで新潟県はお終い。さよなら。今度はゆっくり廻るよ。

10.飯山城・・・長野県飯山市飯山。築城年月は不明。北信濃の重要拠点の一つ。上杉謙信が川中島の戦いの際に修築している。武田家を滅ぼした織田信長の命で森長可が城主となった。本能寺の変で長可が放棄すると上杉景勝が占拠している。上杉家が会津に移封後は皆川・佐久間など領主が頻繁に替わっている。
 石垣などが残っている。

感想:ここもずっと来たいと思っていた場所。何でかっていうと皆川広照が城主だったから。ちなみに案内板には森家の名前は無かった。城主だった期間が短いからね・・・。
 どういう団体か分からなかったがツアー客が来ていた。

(本丸跡に建つ葵神社)

(石垣)

(復元門)

 それから松代で食事をして、森長可の逃亡コースをなぞって松本から木曽を通って恵那市まで出た。途中で松本城や木曽福島城に寄ろうとしたが渋滞や時間の関係で断念><
 恵那市に着いた頃には夕方だった。

11.大井宿本陣跡・・・岐阜県恵那市大井町横町50-1。中山道の宿場町。森長可が休憩した場所。

 これにて終了。

本日の感想:不完全燃焼な史跡巡りだったがGWだったことを考えると仕方ないね。木曽や東濃はいつでも行けるし。

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長野・上越史跡巡り2010(1日目:松代城、高坂弾正・山本勘助・福島正則の墓)

 2010年5月2日、何となく本能寺の変前後に森長可が関係した史跡を行こうということになった。今年はGWの休みが少ないからそのくらいがちょうどいいかな。

1.武蔵塚・・・愛知県長久手町武蔵塚。森武蔵守長可が戦死したと伝えられている場所に建てられた供養塔。
感想:来るのは5度目くらい・・・? スタートとしてはここがふさわしいだろう。

 そこから渋滞に捕まりながら長野市に到着。長野市内は御柱祭のためにあちこちで通行止めがあり移動しづらかった。

2.松代城(海津城)・・・長野市松代町松代44番地。川中島の戦いでの武田氏の拠点、そして真田家の城として知られる。
 今回来たのは森長可と弟の忠政が城主だったから。本能寺の変を知った長可は海津城を放棄して美濃に帰り城は上杉景勝のものとなるが、関ヶ原の直前、忠政は家康から海津城を与えられる。喜びを表現するために忠政は「ずっと手に入るのを待っていた兄の城」ということで待城(松代)と名付けた。
感想:ここは三度目。なぜかここに来る時は必ず晴れていて暑い。

(松代城本丸)

(北不明門)

(壕と石垣)

3.明徳寺・・・長野市松代町豊栄2833。高坂弾正忠昌信の墓がある。
感想:硫黄島の玉砕で知られる栗林忠道さんのお墓(供養塔)があったのには驚いた。松代の出身だったのね・・・。

(明徳寺全景)

(高坂弾正の墓。想像していたよりもかなりこぢんまりとしていた)

(陸軍大将・栗林忠道の墓)

4.山本勘助の墓・・・長野県長野市松代町。
感想:田んぼの中にぽつんとある。ここの写真を営利目的で使う場合は信州柴阿弥陀堂の許可が必要だそうだ。今回は営利目的でないので普通に載せます。
 大河ドラマの時は賑わっていたんだろうが、今は散歩に来ていた近所の方を見かけるくらい。大河が終わればこんなもんだよね。


 ちょっと長可とずれてきたのでこの辺りで軌道修正。

5.長沼城跡・・・長野県長野市穂保。北信濃の重要拠点の一つ。森長可が信濃四郡を支配した際、重臣の各務兵庫が城主となっている。現在は土塁の一部が残っているのみ。
感想:手作り感たっぷりの案内板がいい味を出していました。

 再び森家と関係が無くなります。

6.岩松院・・・長野県上高井郡小布施町大字雁田615。広島から減封された福島正則が菩提寺と定めた寺。正則の霊廟がある。
感想:霊廟にはカメムシが大量にいて香ばしかった>< 正則さん、どんな思いを抱きながら亡くなったんでしょうか・・・。
(山門)

(霊廟。長野市に行ったら必ず行きたいと思っていたが、なかなか機会がなかった。今回、やっと念願が叶った)

(霊廟にある五輪塔)

 本日はこれにて終わり。新潟県の上越市にあるホテルに向かった。疲れ切っていて分かりやすい場所にあるホテルなのに何故かずっと迷って辿り着けなかった・・・ーー;

本日の感想:GWの高速道路の渋滞は半端じゃないことが体験できた。長野市まであんなに時間がかかったのは初めてだ。まあ、急に決まった史跡巡りだから仕方がないけどね。

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信濃上田城

住所:長野県上田市二の丸

 上田城は1583年に信濃の豪族・真田昌幸が築城した平城である。上田の名が全国に知られたのは1585年に僅か2000の兵で徳川の大軍7000を追い返した時である。また1600年の関ヶ原の合戦の時も徳川秀忠軍35000を釘付けにし秀忠を関ヶ原に間に合わなかったという大戦果をあげた。
 大坂の陣後、真田氏は松代に移封となり、代わって小諸から仙石氏が上田城に入った。100年ほど仙石氏の時代が続いたが、1706年に松平氏が入り、そのまま明治維新を迎えている。
 現在は真田氏ゆかりの城として全国から真田ファンの方が訪れている。

(門)

(西櫓~南櫓にかけて)

(真田神社)

(上田駅前にある真田幸村像)

感想:上田城は真田氏の在城期間が短かったにも関わらず、真田一色でした。城の中では例によって『佐助!』『あいよ!』とかいう素敵な歌が流れていました。
 あと『うちは真田の城ですよ、仙石? 松平? ああ、そんなのもいましたね。その二つになんか用があるの?』みたいな感じで他の大名がちょっとかわいそう。近くにあった資料館はさすがにそんなことなかったですが。
 上田には他にも真田太平記館というのがありまして、そこもそこそこ楽しめます。ここで真田三代っていうCD買いました。あと、松代城の方にも真田関係のものがたくさんありますので、そちらと一緒に行くと真田が満喫できるでしょう。

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