長野・上越史跡巡り2010(1日目:松代城、高坂弾正・山本勘助・福島正則の墓)

 2010年5月2日、何となく本能寺の変前後に森長可が関係した史跡を行こうということになった。今年はGWの休みが少ないからそのくらいがちょうどいいかな。

1.武蔵塚・・・愛知県長久手町武蔵塚。森武蔵守長可が戦死したと伝えられている場所に建てられた供養塔。
感想:来るのは5度目くらい・・・? スタートとしてはここがふさわしいだろう。

 そこから渋滞に捕まりながら長野市に到着。長野市内は御柱祭のためにあちこちで通行止めがあり移動しづらかった。

2.松代城(海津城)・・・長野市松代町松代44番地。川中島の戦いでの武田氏の拠点、そして真田家の城として知られる。
 今回来たのは森長可と弟の忠政が城主だったから。本能寺の変を知った長可は海津城を放棄して美濃に帰り城は上杉景勝のものとなるが、関ヶ原の直前、忠政は家康から海津城を与えられる。喜びを表現するために忠政は「ずっと手に入るのを待っていた兄の城」ということで待城(松代)と名付けた。
感想:ここは三度目。なぜかここに来る時は必ず晴れていて暑い。

(松代城本丸)

(北不明門)

(壕と石垣)

3.明徳寺・・・長野市松代町豊栄2833。高坂弾正忠昌信の墓がある。
感想:硫黄島の玉砕で知られる栗林忠道さんのお墓(供養塔)があったのには驚いた。松代の出身だったのね・・・。

(明徳寺全景)

(高坂弾正の墓。想像していたよりもかなりこぢんまりとしていた)

(陸軍大将・栗林忠道の墓)

4.山本勘助の墓・・・長野県長野市松代町。
感想:田んぼの中にぽつんとある。ここの写真を営利目的で使う場合は信州柴阿弥陀堂の許可が必要だそうだ。今回は営利目的でないので普通に載せます。
 大河ドラマの時は賑わっていたんだろうが、今は散歩に来ていた近所の方を見かけるくらい。大河が終わればこんなもんだよね。


 ちょっと長可とずれてきたのでこの辺りで軌道修正。

5.長沼城跡・・・長野県長野市穂保。北信濃の重要拠点の一つ。森長可が信濃四郡を支配した際、重臣の各務兵庫が城主となっている。現在は土塁の一部が残っているのみ。
感想:手作り感たっぷりの案内板がいい味を出していました。

 再び森家と関係が無くなります。

6.岩松院・・・長野県上高井郡小布施町大字雁田615。広島から減封された福島正則が菩提寺と定めた寺。正則の霊廟がある。
感想:霊廟にはカメムシが大量にいて香ばしかった>< 正則さん、どんな思いを抱きながら亡くなったんでしょうか・・・。
(山門)

(霊廟。長野市に行ったら必ず行きたいと思っていたが、なかなか機会がなかった。今回、やっと念願が叶った)

(霊廟にある五輪塔)

 本日はこれにて終わり。新潟県の上越市にあるホテルに向かった。疲れ切っていて分かりやすい場所にあるホテルなのに何故かずっと迷って辿り着けなかった・・・ーー;

本日の感想:GWの高速道路の渋滞は半端じゃないことが体験できた。長野市まであんなに時間がかかったのは初めてだ。まあ、急に決まった史跡巡りだから仕方がないけどね。

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