住所:三重県伊勢市中之町101
浄土宗鎭西派。1667年、京都知恩院の寂照知鑑が千姫の菩提を弔うために創建した。しかし寺領はあったものの檀家がないため財政的に苦しくなり、廃寺寸前に追い込まれる。そこで1774年に知恩院から月僊が派遣され、自らが描いた山水と人物画を売り、そのお金で寺院の復興を行なった。1881年に焼失したため1893年に再建される。
寺宝として木造聖観音立像、釈迦如来立像、木像諸尊仏阿龕などがある。
住所:三重県伊勢市中之町101
浄土宗鎭西派。1667年、京都知恩院の寂照知鑑が千姫の菩提を弔うために創建した。しかし寺領はあったものの檀家がないため財政的に苦しくなり、廃寺寸前に追い込まれる。そこで1774年に知恩院から月僊が派遣され、自らが描いた山水と人物画を売り、そのお金で寺院の復興を行なった。1881年に焼失したため1893年に再建される。
寺宝として木造聖観音立像、釈迦如来立像、木像諸尊仏阿龕などがある。
住所:三重県伊勢市岩渕3-3-11
臨済宗。天平年間(729~49)、聖武天皇の勅願により創建されたという。当初は天台宗であったが衰退したため、月波恵観が臨済宗として再興した。1338年、北畠親房や結城宗広が当寺で東国に向かう船出の準備をしている。1670年、大火で焼失したため伊勢市吹上から現在地に移転された。
明治維新後の神仏分離令で廃寺になりかけたが、本山の東福寺の援助で存続することができた。
寺宝に紙本墨書結城宗広並夫人書状、豊臣秀吉朱印状、木造阿弥陀如来坐像、結城宗広肖像図などがある。
(鐘楼。「光明寺の一つ鐘」と呼ばれ、この辺りでは鐘楼を持つ唯一の寺だった)
感想:寺の入り口が分からず車でグルグル廻っていました。
住所:三重県伊勢市宇治館町1
祭神は天照大御神。26年、垂仁天皇が五十鈴川のほとりに社を創建したのが始まり。