平成21年3月5日(水)、南さつま市内のホテルから出発。
26.梅天寺跡・・・日置市吹上町永吉にある。 沖田畷の戦いや戸次川の戦いで活躍した島津四兄弟の末弟・島津家久の墓がある。
墓石が縦に長い・・・。ここも町営住宅の裏みたいなところにあって非常に分かりづらかった。
27.天昌寺跡・・・日置市吹上町永吉にある。関ヶ原の戦いで義弘の身代わりとして戦死した家久の息子・豊久の墓を始めとして、永吉島津家の墓がある。
28.大乗寺跡・・・日置市日吉町日置にある。島津歳久を始めとして日置島津家の墓がある。
正面奥のお墓が歳久のもの。
29.雪窓院跡・・・日置市伊集院町徳重にある。九州攻めで豊臣秀吉に勝てないことを悟った義久が、降伏のため泰平寺に向かう途中、ここで剃髪したという。島津義久剃髪石が残っている。
道路沿いに石があるだけ。ほんと、薩摩藩の廃仏毀釈は徹底的だなあ・・・。
30.島津義弘像・・・日置市伊集院町徳重の伊集院駅前にある。
超有名な銅像。義弘と聞けば、尚古集成館にある肖像画か、この銅像を思い浮かべる人がほとんどじゃないでしょうか。
本日のメイン。実物も期待に違わずかっこいいなあ・・・^^
31.一宇治城・・・日置市伊集院町大田にある。鎌倉時代から存在した古い城で、のちに島津本家の城となった。戦国時代には島津貴久がここを拠点としている。1549年に貴久とザビエルが会見したのもこの城である。1550年に内城に移ると廃城となった。現在は城山公園となっている。
遺構がところどころ残っていた。行った時、ちょうど幼稚園の団体さんが遠足に来ていた。
32.徳重神社・・・日置市伊集院町徳重にある。島津義弘の菩提寺・妙円寺があったが、廃仏毀釈で廃寺となり、跡地に徳重神社が建てられた。義弘の関ヶ原敵中突破を讃えて行なわれる妙円寺詣りの会場としても有名である。
平日の昼間だったので誰もいないかと思ったら高校生が一人、階段に座って考え事をしていた。私の存在に気がついて去っていったが、何かあったのだろうか・・・。
33.妙円寺・・・日置市伊集院町徳重にある。廃仏毀釈後に再建されたもの。徳重神社から道を挟んですぐの場所にある。島津義弘の位牌がある。
34.泰平寺・・・薩摩川内市大小路町にある。九州攻めの際に、義久が秀吉に恭順の意を示した場所として知られている。寺に隣接する泰平寺公園には和睦石、和睦の銅像がある。
35.新田神社・・・薩摩川内市宮内町にある。薩摩一宮。社殿は朝鮮出兵から戻ってきた島津義弘が造営・寄進したもの。
立派そうな神社だったので行ってみた。疲れていたので後で見たら写真の構図が雑なのばかりだったTT
これが噂の戦国村か・・・。えらい場所にあるなあ。
まあそれはいいとして次の史跡である「朝鮮出兵記念碑」が近くに来ても見つからない! 必死で探したが、とにかく何もない。近くは原発しか無くて人もいないし・・・。仕方なく民家のある地区まで戻って聞いてみた。
「ああ、ソウフレンのことかあ」
「え? ソウフレン? いえ、探しているのは朝鮮出兵記念碑です」
「だからソウフレンだろう。朝鮮出兵に関係して始まった踊りのことを想夫恋っていうんだよ。それを碑の前で踊るんだよ」
(そうなんだ・・・)
「あの碑ねえ、数年前に移転したんだよね。詳しいことは近くのコミュニティセンター(だったと思う)で聞いて」
そこでコミュニティセンターに移動して場所を聞くと、たまたま来ていた方が
「おお、俺、想夫恋保存会の会員なんだよ。車でついてきて」
なんという偶然。お言葉に甘えて連れて行ってもらった。
お話によると、この碑がある久見崎から島津軍は朝鮮に出兵したが、戦地で亡くなって帰って来られない兵が多数いた。その帰ってこない夫や子供を思って始まったのが「想夫恋」だという。
亡くなった敵味方の鎮魂も兼ねているそうで、それを知った韓国側から招待されたこともあったらしい。
場所は数年前まで原発のすぐ近くにあったが、松林で海が見えなくなったので海の見える現在地に移転したそうな。
36.朝鮮出兵記念碑・・・薩摩川内市久見崎町にある。どういう経緯のものかは上記の通りです。場所は移転したばかりなので、必ず確認してから行きましょう。行くまでの道は狭いですけど、記念碑のある場所に普通車を数台は停めることができます。
(上記の「慶長征韓碑」に対して韓国からクレームが来たらしく下記のような注意書きがありました。まあ、いいけどさ・・・)
37.久見崎軍港・・・薩摩川内市久見崎町にある。慶長の役の際に島津軍はここから出航した。江戸時代も造船・修理などが行なわれている。
今は川内川沿いにあるが埋め立てられる前はこの辺りは海のすぐ近くだったらしい。