2012年四国史跡巡り(6日目その3:曼荼羅寺・甲山寺・讃岐甲山城)

45.曼荼羅寺・・・香川県善通寺市吉原町1380-1。四国八十八ヶ所霊場・第72番札所。596年、空海の実家の佐伯氏の菩提寺として建てられた。807年、唐から帰国した空海が母の菩提を弔うため伽藍を建立し大日如来を祀っている。
感想:近くに平安時代末に名を馳せた僧・西行の庵があるという案内が建っていたのだが、時間の都合で行かなかった。

(仁王門。山号の我拝師山(がはいしざん)ってインパクトがあるなあ)

(本堂の旧棟瓦)

(延命地蔵)

(本堂)

(大師堂)

(香川県有形文化財・聖観音立像が安置されている観音堂。本堂の横に建つ)

(笠松大師。ここには空海手植えの『不老松』があったが2002年に松食い虫のため枯れてしまった。そこで松の幹にこの像を刻んだ)

(香川信景の重臣・三野菊右衛門の墓。お墓は通称・五輪さんと呼ばれている。菊右衛門は長宗我部元親の三男・親和が香川氏の養子に入った際に人質として土佐に行っている)

(西行が良く昼寝をしていたという伝承が残る昼寝石)


46.甲山寺・讃岐甲山城・・・香川県善通寺市弘田町1765ー1。幼少期の空海がこの辺りで遊んでいたという。後年、空海が満濃池の工事を命じられた際に甲山の岩窟で成功を祈願し、数千人の人夫を使って3ヶ月余りで完成させた。そこで空海は感謝の意を込めて朝廷から賜ったお金の一部で甲山寺を建て薬師如来を安置している。
 背後の山は甲山城で、築城年代は不明だが香川氏の家臣で豪勇として知られた朝比奈弥太郎が築城したといわれている。1558年に三好氏が香川氏を攻めた際に190人も倒して戦死したという(弥太郎は土佐の人という説もある)。城は丸亀平野を一望でき、天霧城の出城としての役割を果たしていたという。

(山門。一の門かな?)

(二の門?)

(本堂)

(毘沙門天の岩窟。空海が掘った毘沙門天の像が祀られている)

 ここら辺から登ると城に行ける。
(曲輪跡だと思われる。お寺にはあんなに人がいたのに、城では行きも帰りも誰にも会わなかった)

(本曲輪。碑には神武天皇と孝明天皇の名前が刻んであった。城趾碑もあるらしいが分からなかった)

(丸亀平野を望む。正面の山が讃岐富士・飯野山)


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2012年四国史跡巡り(6日目その2:本山寺・勝間城)

43.本山寺・・・香川県三豊市豊中町本山甲1445。四国八十八ヶ所霊場・第70番札所。本尊は八十八ヶ所では唯一の馬頭観音である。807年、空海が創建。当初は『長福寺』という名前だったがのちに『本山寺』に改められる。
 長宗我部元親が讃岐を攻めた際、陣を置こうとしたが住職が拒んだため兵が斬りつけた。しかし住職は無事で代わりに阿弥陀如来の右手から血が流れ落ちたので、驚いた長宗我部軍は退去している。以来、その阿弥陀如来は『太刀受けの弥陀』と呼ばれている。

感想:目的はもちろん太刀受けの弥陀。右手に傷があるらしい。

(国指定重要文化財・仁王門)

(三豊市から満州を開拓に行ったが戦争のため犠牲になった人達を慰霊する仏堂)

(善女龍王像が納められている鎮守堂。なぜか野良犬がうろうろしていた。観光客が多いのに危ないのでは・・・?)

(大師堂)

(四国八十八ヶ所霊場では4つしかないという五重塔の一つ。1910年に当時の住職が寄付を募って再建している)

(空海が一夜に建立したという伝承が残る本堂。現在の本堂は京極氏の祖・佐々木氏信の寄進で建て替えられている。ここに太刀受けの弥陀があるらしいのだが、当然見ることはできない)

(大門)


44.勝間城・・・香川県三豊市高瀬町下勝間。築城年代は不明。香川信景の重臣・三野菊右衛門の居城だったと伝わる。現在は城山神社が建っており遺構はない。
感想:前日からの雨で地面がぬかるんでいた。

(城山神社の鳥居)

(拝殿)

(勝間城趾から北側を望む。右の山が天霧城だと思うのだが・・・)


 この後は昼食。香川なので当然讃岐うどんです。調べていなかったので次の目的地までにあったお店に入ってみた。

(お店)

(「かけうどん」「野菜のかき揚げ」「なすの天ぷら」のセット。丸亀製麺なんか行くと必ず頼む組み合わせ)

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2012年四国史跡巡り(6日目その1:讃岐高井城・三好長治の妻の墓)

 2012年5月3日(木)、香川県観音寺市のホテルで目が覚める。さて今日は最終日だ。寂しいのうTT

39.讃岐高井城・・・香川県三豊市山本町辻。当地の豪族・高井信昌の居城。
感想;現在は遺構は無く碑があるのみ。

(城趾碑)

40.大法寺・・・香川県三豊市山本町辻1050。日蓮宗。長宗我部元親と戦って戦死した高井信昌の墓が当寺の墓地にある。かつて墓は『武田はん』と呼ばれた古戦場にあったが土地整備により1978年に現在地に移転された。
感想:菩提寺かどうか不明だが、管理はされているらしい。

(山門)

(本堂。2000年の再建)

41.高井信昌の墓・・・香川県三豊市山本町辻。かつては別の場所にあり、信昌を崇敬し鍬を入れるものがおらず雑木が生い茂っていた。1854年、有志が供養塔を建てている。1978年に現在地に移転され、1993年に頌徳碑が建てられた。

(中央が頌徳碑。右が1854年に建てられた供養塔。左が1993年に頌徳碑と共に建てられた供養塔)


42.三好長治の妻の墓・・・三豊市山本町大野。1577年に長治が細川真之と戦って敗死すると讃岐に逃げ延びたという伝承がある(詳細は不明だが縁者がいたのだろう)。1590年にここで亡くなったという。
感想:墓地の一角にある。草が伸びて半分くらい埋まっていた。夏はほとんど見えなくなっているのではないか。

(長治の妻(雲林院)の墓。町史の写真だとはっきりと没年と戒名が読めたので今も雑草が無ければ読めると思われる)

(地元の方の話だと付き従った家臣の墓らしい。中央の墓には慶長7年没と大姉という戒名が刻んであったから娘かなあ・・・。左右が家臣の墓かもしれない)


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