香川親和(?〜1587年)

官位・通称:五郎次郎
 長宗我部元親の次男。元親が讃岐に侵攻した際、讃岐天霧城主・香川信景の養子となり香川家を継ぐ。東予の金子元宅らの同盟強化に際して功があった。讃岐の中西部を転戦し元親に貢献。四国征伐後、土佐に戻る。1585年10月、豊臣家への人質として大和郡山に赴くが、翌年1月に帰国。戸次川の戦いで長兄・長宗我部信親が没するが、家督相続の沙汰が無いまま、1587年に病死。
 なお香川県の資料のほとんどに名前が「親政」と記載してある。

高知県南国市岡豊町八幡にある伝・香川親和の墓
親和の墓
UPDATE 2011年1月25日
Copyright (C) 2011 Tikugonokami.