塚原卜伝生誕之地(塚原卜伝の像)

●塚原卜伝生誕之地(塚原卜伝の像)
住所:茨城県鹿嶋市宮下2-11-1(鹿詰児童公園)
駐車場:なし

 塚原卜伝は延徳元(1489)年、鹿島神宮の神職・卜部(うらべ)吉川家左京覚賢の次男として当地で生まれ、塚原城の城主塚原土佐守安幹の養子となる。少年時代に剣術を習得した卜伝は3回の廻国修行に出て、将軍の足利義輝や伊勢の大名・北畠具教などに剣術を教えた。
 元亀2(1571)年に亡くなり梅香寺跡に葬られている。現代に伝わる「鹿島新當流」の祖である。

(公園。鹿島神宮駅の近くにあるので住宅街になっている)
公園

(「神而明之」の碑。中国の諺で「神が(真理を)明らかにするかは人次第」みたいな意味らしい。日本語サイトが出て来ないので意味が合っているのか自信がない)
神而明之の碑

(平成4(1992)年に建てられた剣聖塚原卜伝生誕五百年祭記念碑。計算が合わないと思ったら平成元(1989)年に実行委員会が設立されて建てられたと刻んであった)
剣聖塚原卜伝生誕五百年祭記念碑

(塚原卜伝の像)
塚原卜伝の像

参考文献:るるぶ&more、現地の案内板

感想:朝早く見に行った記憶があります。車を駐めた場所は全く記憶にないです。



常陸 神宮寺城(北畠親房が立て籠もった城)

●常陸 神宮寺城
住所:茨城県稲敷市神宮寺(字 道向)
駐車場:不明
遺構:曲輪、土塁、空堀
標高:29メートル/比高:2メートル

 県指定史跡。北以外は谷津(やつ。丘陵地が長い時間をかけて侵食されて出来た谷状の湿地)だった。城の築城年代や城主は不明である。
 延元3(暦応元,1338)年、南朝の北畠親房は義良親王と宗良親王を奉じて陸奥に向かって海路を進んでいたが、途中で暴風雨に遭い船は四散してしまった。北畠親房とその兵達は東条浦(稲敷市の湖岸一帯)に漂着し神宮寺城に入ったが、北朝の佐竹義篤・大掾高幹・鹿島幹寛らの攻撃を受け落城し阿波崎城に逃れている。

(入口)
入口

(空堀)
空堀

(曲輪と土塁)
曲輪と土塁

(大正4(1915)年に建てられた北畠准后唱義之処碑。准后とは天皇の近親者、または摂政・関白・太政大臣その他功労ある公卿・武官・僧侶などを優遇するために特に設けた称号のこと)
北畠准后唱義之処碑

参考文献:茨城県の地名、現地の案内板、茨城県の中世城館、千葉県公式サイト茨城県教育委員会

感想:訪問した際の記憶が全くないです。



常陸 真壁城(真壁氏の居城。神道霞流剣術発祥の地)

●常陸 真壁城
住所:茨城県桜川市真壁町古城(字 瀬戸、二の丸、本丸、中城)
駐車場:真壁第一体育館駐車場が利用可能
遺構:曲輪、堀、土塁
標高:47メートル/比高:0メートル

 国指定史跡。承安2年(1172)年、多気直幹の子・六郎長幹が築城し地名を取って真壁氏を名乗ったと伝わる。近年の説では亀熊城を本拠地としていた真壁氏が15世紀に移転したという。
 文治5(1189)年、長幹は常陸守護・八田知家に従い奥州藤原氏攻めに参加するなど活躍している。応永29(1413)年、12代目当主・慶幹は小栗満重に味方したため鎌倉公方の足利持氏に攻められ翌年に落城したが、慶幹の甥で13代目当主・朝幹が足利持氏に味方し家督争いにも勝利して御家再興をしている。18代目当主・氏幹は佐竹氏の配下となり北条氏直と戦った。
 慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い後、佐竹氏が出羽に移ると隠居地として与えられた浅野長政が入るが、元和8(1622)年に浅野氏が去ると廃城となる。

(城址碑)
城址碑

(本丸跡。真壁第一体育館が建っている)
本丸跡

(神社。何も記憶がない)
神社

(昭和10(1935)年に建てられた城址碑)
城址碑

(神道霞流剣術発祥之聖地。弘治2(1556)年に小田氏治と戦うなどした17代目当主・真壁久幹は塚原卜伝の弟子で法名の道無から「鬼道無」と恐れられた武将で神道霞流剣術の祖とされている。棒術が巧みだったことから、技は神道夢想流杖道に引き継がれている)
神道霞流剣術発祥之聖地

(神社横の堀)
堀

(土橋に見えたので撮影した)
土橋

(復元する土塁の準備中か?)
土塁

(おそらく堀)
堀

参考文献:茨城県の地名、茨城県の中世城館、桜井市公式サイト桜井市観光協会神道霞流剣術

感想:10年前に行った時はだだっ広い空き地だな、と思った記憶があります。今のように城に興味があればもう少し遺構を確認できたかもしれません。
 今は復元工事が進んで堀などが綺麗に見られるようです。