長楽寺(本庄繁長の墓)

住所:福島県福島市舟場町3-10

 曹洞宗。1540年、越後本庄城主・本庄氏が創建した。1600年、本庄繁長が福島城主となると現在地に移転される。

(山門)

(世良修蔵暗殺の際に手引きした浅草屋宇一郎の碑と、仙台藩烏天狗組の碑)

(六地蔵)

(阿保原地蔵尊。全国六地蔵の一つらしいが、残りの五つはどこにあるのだろうか…?)

(本堂)

(繁長の木造が安置されている八幡神社。これが繁長の墓になるらしい)

(本庄氏の墓と碑。一番奥が繁長の子・充長(大宝寺義勝)の墓)

(おまけ。1600年(1601年とも)、松川の戦いで伊達政宗軍を迎え撃つため繁長が布陣した場所。写真は福島テレビの近くに流れる祓川を撮影したもの)

感想:繁長の墓が八幡神社だということを家に戻ってから知りました。現地には何も書いていなかったので…。


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関川寺(結城宗広の墓)

住所:福島県白河市愛宕町94

 曹洞宗。もとは天台宗で関銭院(関銭を取っていたことに由来すると伝わる)という寺号だったが、結城直朝が中興開山し現在の寺号となる。1581年、白河市関川窪から現在地に移った。

(入り口)

(1938年、結城宗広の霊廟落慶を記念して建てられた一千人力燈)

(戊辰戦争で亡くなった棚倉藩士・小池理八の供養碑)

(本堂)

(典座教訓の像)

(結城宗広の像。宗広没後650年の1987年に建てられた)

(1761年に鋳造された銅鐘)

(結城宗広の墓(中央))

感想:街の観光マップで見つけて行って見ました。


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丹羽長重公廟(松平家の墓)

住所:福島県白河市円明寺地内

 寛永年間(1624~1643年)、丹羽長重が当地に菩提寺を建立したのが始まりと伝わる。1637年、長重が亡くなった際に埋葬されている。

(墓地の入り口にある池)

(二本松藩士慶応戊辰役戦死之霊の供養碑。二本松藩は丹羽氏が白河から転封され幕末まで治めた地である)

(丹羽長重公霊廟の入り口。東日本大震災の影響だろうか工事のため入れなかった)

(柵の外から撮影した霊廟。扉が外れており痛々しい状態だった)

(墓地内に建つ白河藩主・松平基知の墓)

(同じく墓地内に建つ白河藩主・松平直矩の墓)

感想:>白河小峰城の状態は知っていましたが、霊廟もこのような状態だとは知らずショックを受けました。


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