筑前 名島城(小早川隆景の居城)

●筑前 名島城
住所:福岡県福岡市東区名島1丁目(字 城山)
駐車場:なし(近隣の有料駐車場を利用)
遺構:曲輪、石垣
標高:25メートル/比高:22メートル

 天文年間(1532~55年)に立花鑑載が立花山城の出城として築かれたと伝わるが定かではない。永禄11(1568)年、立花山城を攻めるため毛利元就の軍船が名島の内海に配置されている。天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州国分で筑前一国を与えられた小早川隆景は立花山城に入城するが、翌年には名島城の本格的な築城を開始し入城した。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで筑前を与えられた黒田長政は当初、名島城に入るが直ぐに福岡城の築城に取りかかり完成すると居城を移している。
 名島城の石材や木材は福岡城に転用されたが、城門は宗像市の宗生寺や福岡市博多区の崇福寺に移築された。昭和30年代頃までは城の面影が残っていたようだが道路建設や宅地開発で公園になっている本丸以外は残っていない。
 城址には宗像三女神(田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命)を祭神とする名島神社が建っている。神功皇后が三韓(高句麗、百済、新羅)遠征からの凱旋時に宗像三女神を勧請したのが始まりだと伝わる。名島城の築城前から当地にあったが、小早川隆景の築城時に別の場所に移され、廃城になった後の元禄年間(1688~1704年)に福岡藩主・黒田綱政によって戻された。

(名島城の目の前にある多々良川の河口。ここに毛利の軍船が配置されていたのだろうか)
多々良川の河口

(名島神社の一の鳥居と名島城本丸の全景)
一の鳥居

一の鳥居

(二の鳥居)
二の鳥居

(名島神社の境内。ここも曲輪だった)
社殿

社殿

社殿

社殿

(名島城址公園。隅櫓跡があった)
隅櫓跡

隅櫓跡

隅櫓跡

隅櫓跡

(石垣らしい。一段下に下がったところにあった)
石垣

参考文献:福岡県の地名、福岡県の歴史散歩、福岡県の中近世城館跡Ⅱ、名島神社、現地の案内板

感想:有料も含めて駐車場がなくて周辺を走り回りました。



宗像大社(辺津宮。宗像氏が大宮司職を務める)

●宗像大社(辺津宮)
住所:福岡県宗像市田島2331
駐車場:あり

 祭神は市杵島姫神。当地の田島(辺津宮)、沖ノ島(沖津宮)の田心姫神、大島(中津宮)の湍津姫神を合わせて宗像三女神と呼び、三宮を総称して宗像大社と呼ぶ。
 沖ノ島が朝鮮半島に向かう航路にあったことから古来から海上交通の神として崇敬されていたと推測されている。やがて祭祀を行う沖ノ島を遙拝するため中津宮と辺津宮が創建され、二つの宮で祭祀も行われるようになったようだ。
 神主の宗像氏は律令国家成立後に宗像郡の大領(郡司の長官)も兼ね祭政一帯の政治を行う。だが延暦19(800)年に制度が変わったため大領が神主を兼務することはなくなった。それから宗像氏は国家祭祀に専念する。天慶4(941)年の藤原純友の乱後、朝廷によって宮司職が設けられ神主職と兼務するようになったが、一族内で宮司職を巡って争い祭祀などが滞ったため、兼務をやめ大宮司職が単独で設けられた。しかし今度は大宮司職を巡って一族が争い、天養元(1144)年には武力衝突で社殿の一部が焼失している。
 鎌倉幕府が成立すると宗像氏は幕府御家人となり弘安4(1281)年の弘安の役に参戦した。南北朝時代になると北朝に属して九州に逃れた足利尊氏を助けている。戦国時代には筑前守護の少弐氏ではなく周防の大内氏に接近。大宮司職の宗像正氏は職を辞して黒川隆尚と名を変え大内氏の家臣になっている。
 天正15(1587)年の豊臣秀吉による九州国分で領主としての宗像氏は否定され領地は没収。社領のみ認められた。以降の宗像大社は筑前の大名になった小早川隆景、黒田長政ら福岡藩主の庇護を受けている。
 現在でも航海安全・交通安全の神として広く信仰されている。宗像神社文書(国指定重要文化財)など多数の社宝がある。

(一の鳥居)
一の鳥居

(二の鳥居と石橋)
二の鳥居

石橋

(参道と池)
参道と池

参道と池

(手水舎)
手水舎

(神門)
神門

神門

(拝殿と本殿。両方とも国の重要文化財に指定されている。拝殿は天正18(1590)年に小早川隆景が造営しており、本殿は天正6(1578)年に大宮司職の宗像氏貞が造営している)
拝殿と本殿

拝殿と本殿

拝殿と本殿

(末社。本殿の周辺には24社の社殿がある)
末社

(第二宮。田心姫神が祀ってある)
第二宮

(第三宮。湍津姫神が祀ってある)
第三宮

(高宮祭場。市杵島姫神の降臨の地らしい)
高宮祭場

高宮祭場

(神宝館。宗像神社文書をじっくり見ていたが内容は覚えていない・・・)
神宝館

参考文献:福岡県の地名、福岡県の歴史散歩宗像大社公式ホームページ

感想:何回か参拝客に「写真を撮ってください」と頼まれました。一人で参拝している人には話しかけやすいでしょうから。



筑前 福岡城(舞鶴城。筑前福岡藩主・黒田家の居城)

●筑前 福岡城(舞鶴城)
住所:福岡県福岡市中央区城内、大濠公園
駐車場:有料駐車場あり
遺構:曲輪、石垣、井戸跡、多門櫓、櫓跡、濠
標高:12メートル/比高:1メートル

 国指定史跡。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの功績で筑前一国の大名になった黒田長政は名島城に入った。だが城下町の形成に不向きな土地だったため、次の居城の候補地から福崎を選定し、黒田家の先祖の地だった備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市福岡)から地名を福岡に変更し築城を開始。慶長13(1608)年に完成した。以降、黒田家の居城として明治維新まで筑前の政治の中心になっている。
 明治維新後も福岡県庁として利用されたが、明治9(1876)年に県庁が移転したため、徐々に建物が解体された。濠も城の四方を囲んでいたが、現在は南北の一部が残り西は大濠公園として整備されている。城も舞鶴公園として整備され、大濠公園と共に市民の憩いの場、福岡市を代表する観光地の一つとなっている。

(松ノ木坂と御門跡。場所は下の概略図を参照)
松ノ木坂と御門跡

松ノ木坂と御門跡

松ノ木坂と御門跡

(祈念櫓跡の付近)
祈念櫓跡

祈念櫓跡

祈念櫓跡

(本丸御殿跡)
本丸御殿跡

本丸御殿跡

(水の手跡。現在は埋め立てられて運動場になっている)
水の手跡

(天守台跡。行った時は期間限定で模擬天守が建っており一部が立入禁止だった)
天守台跡

天守台跡

(武具櫓跡)
武具櫓跡

(裏御門跡)
裏御門跡

(井戸跡)
井戸跡

(御時櫓跡)
御時櫓跡

(多門櫓。この日は内部が公開されていた)
多門櫓

多門櫓

多門櫓

多門櫓

多門櫓

(桐ノ木坂御門跡)
桐ノ木坂御門跡

桐ノ木坂御門跡

(土塁かなと思って撮影。福岡城と大濠公園の間にあった)
土塁

(大濠公園。ここは観光客が多かった)
大濠公園

大濠公園

大濠公園

大濠公園

大濠公園

大濠公園

(北側の濠)
北側の濠

北側の濠

(下の橋御門と潮見櫓)
潮見櫓

潮見櫓

潮見櫓

(黒田如水隠居地跡。今は牡丹・芍薬園になっている)
黒田如水隠居地跡

黒田如水隠居地跡

黒田如水隠居地跡

黒田如水隠居地跡

黒田如水隠居地跡

(名島城から移築された名島門)
名島城

(旧母里太兵衛邸長屋門)
旧母里太兵衛邸長屋門

(二の丸の石垣)
二の丸の石垣

(鴻臚館跡と福岡城むかし探訪館)
鴻臚館跡

福岡城むかし探訪館

(東御門跡)
東御門跡

東御門跡

参考文献:福岡県の地名、福岡県の中近世城館跡Ⅱ、現地の案内板、国史跡福岡城・鴻臚館

感想:北側の濠を見ているとき、泊まったホテルの鍵を返すのを忘れていたのを思い出しました。当日の朝、返そうとフロントに行ったら部活の試合で泊まっている学生が横一列になって従業員の方に御礼を言っていて、待つのが面倒だったのでそのまま行ってしまいました。後日、郵送で返しました。

(概略図)
概略図