定慧山天叟寺(高橋紹運の供養塔)

●定慧山天叟寺(高橋紹運の供養塔)
住所:福岡県柳川市鍛冶屋町23
駐車場:あり

 臨済宗。元和年間(1615〜1624)に曹洞宗の桂林寺として創建された。寛永4(1627)年、柳川二代藩主・立花忠茂は祖父である高橋紹運(戒名・天叟寺殿性海紹運大居士)の位牌を安置して、天叟寺と改称する。
 境内には高橋紹運の供養塔があり、寺宝に高橋紹運の肖像画がある。

(山門)
山門

(本堂)
本堂

(高橋紹運公並びに岩屋戦歿者四百年祭碑文)
高橋紹運公並びに岩屋戦歿者四百年祭碑文

(高橋紹運公四百年祭記念塔)
高橋紹運公四百年祭記念塔

(高橋紹運の供養塔)
高橋紹運の供養塔

高橋紹運の供養塔

高橋紹運の供養塔

参考文献:福岡県の地名、「宗茂・誾千代」ゆかりの地を巡る(パンフレット)、市内の寺社仏閣(パンフレット)、旧柳川藩志 中巻

感想:モンスターのカードを握った住職のお孫さんらしき人に案内してもらいました。結構、人が来るのか聞いたら「たまに」との答えが返ってきました。
 2010年に参拝したので、その子も今は社会人として働いているでしょう。


寂性山良清寺(立花宗茂の妻・誾千代の墓)

●寂性山良清寺
住所:福岡県柳川市西魚屋町49
駐車場:あり

 浄土宗。元和7(1621)年、立花宗茂が妻の誾千代(戒名・光照院殿泉譽良清大禅定尼)の追福のため創建する。誾千代は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで宗茂が改易となった後は肥後国腹赤村(熊本県玉名郡長洲町腹赤)に居住し、慶長7(1602)年に亡くなって腹赤村に葬られていた。そのため寛永11(1634)年の三十三回忌の際、良清寺に改葬される。
 享保10(1725)年に、二代藩主・忠茂の五男・貞晟(戒名・寂性院殿深譽幽廣湛玄大居士)の追善のため、寂性山と改称された。
 2度の火災のため寺宝の大半が焼失したが、誾千代の肖像画が残っている。

(山門)
山門

(伽藍)
伽藍

(墓所)
墓所

(中央が誾千代の墓)
誾千代の墓

誾千代の墓

参考文献:福岡県の地名、「宗茂・誾千代」ゆかりの地を巡る(パンフレット)、旧柳川藩志 中巻

感想:2010年8月に参拝したのですが、その時にかなり体力を消耗していたので副住職さんのご好意で休憩させていただいた。しかし誾千代について詳しくないので、雑談しかできませんでした。
副住職「最近は若い人が来るようになって。誾千代さんがゲームに出てくるらしいですね。それで人気があるらしいです」
私「そうなんですか。聞いたことがあります」
 誾千代についての会話はこれくらいしかしていないと思います。


御花(旧柳川藩主立花家の屋敷)

●御花
住所:福岡県柳川市新外町1
駐車場:宿泊者のみ施設内の駐車場利用可能(見学のみは近隣有料駐車場)

 旧柳川藩主立花家の別邸。御花畠とも呼ばれた。元禄10(1697)年、三代藩主・立花鑑虎が別邸として建てた御茶屋が始まりとされるが異説もある。元文3(1738)年には柳川城二の丸から藩主一家が修築して移り住み、第二次大戦後まで立花氏の邸宅として利用される。
 現在は料亭旅館となっており、国指定名勝「松濤園」を有し、歴史ある建築や郷土料理を楽しめる日本唯一の「泊まれる国指定名勝」になっている。

御花

御花

御花

参考文献:福岡県の地名、御花公式サイト、福岡県観光Web クロスロードふくおか

感想:ブライダルフェアをやっていたので見学しづらい雰囲気でした。「ゆっくり見て下さい」と従業員の方に笑顔で言われましたが落ち着かなかったので、軽く見学してすぐに出ました。