●宗像大社(辺津宮)
住所:福岡県宗像市田島2331
駐車場:あり
祭神は市杵島姫神。当地の田島(辺津宮)、沖ノ島(沖津宮)の田心姫神、大島(中津宮)の湍津姫神を合わせて宗像三女神と呼び、三宮を総称して宗像大社と呼ぶ。
沖ノ島が朝鮮半島に向かう航路にあったことから古来から海上交通の神として崇敬されていたと推測されている。やがて祭祀を行う沖ノ島を遙拝するため中津宮と辺津宮が創建され、二つの宮で祭祀も行われるようになったようだ。
神主の宗像氏は律令国家成立後に宗像郡の大領(郡司の長官)も兼ね祭政一帯の政治を行う。だが延暦19(800)年に制度が変わったため大領が神主を兼務することはなくなった。それから宗像氏は国家祭祀に専念する。天慶4(941)年の藤原純友の乱後、朝廷によって宮司職が設けられ神主職と兼務するようになったが、一族内で宮司職を巡って争い祭祀などが滞ったため、兼務をやめ大宮司職が単独で設けられた。しかし今度は大宮司職を巡って一族が争い、天養元(1144)年には武力衝突で社殿の一部が焼失している。
鎌倉幕府が成立すると宗像氏は幕府御家人となり弘安4(1281)年の弘安の役に参戦した。南北朝時代になると北朝に属して九州に逃れた足利尊氏を助けている。戦国時代には筑前守護の少弐氏ではなく周防の大内氏に接近。大宮司職の宗像正氏は職を辞して黒川隆尚と名を変え大内氏の家臣になっている。
天正15(1587)年の豊臣秀吉による九州国分で領主としての宗像氏は否定され領地は没収。社領のみ認められた。以降の宗像大社は筑前の大名になった小早川隆景、黒田長政ら福岡藩主の庇護を受けている。
現在でも航海安全・交通安全の神として広く信仰されている。宗像神社文書(国指定重要文化財)など多数の社宝がある。
(拝殿と本殿。両方とも国の重要文化財に指定されている。拝殿は天正18(1590)年に小早川隆景が造営しており、本殿は天正6(1578)年に大宮司職の宗像氏貞が造営している)
(神宝館。宗像神社文書をじっくり見ていたが内容は覚えていない・・・)
参考文献:福岡県の地名、福岡県の歴史散歩、宗像大社公式ホームページ
感想:何回か参拝客に「写真を撮ってください」と頼まれました。一人で参拝している人には話しかけやすいでしょうから。