誠照寺(浄土真宗誠照寺派本山)

住所:福井県鯖江市本町3丁目2ー38

 浄土真宗誠照寺派本山。1207年、親鸞が越後に配流される途中、越前に滞在して初めて説法した地と伝わる。親鸞の五男・道性と空然の娘との間に生まれた如覚が現在地に寺院を造営した。最初の寺号は真照寺だったが1437年に誠照寺と改称している。本願寺から離れて活動したため一向一揆が盛んになると衰退し朝倉氏と手を結んで対抗した。
 1573年に朝倉氏が滅亡すると織田信長と手を結び栄えたが、柴田勝家に加担し豊臣秀吉と対抗したため全山破却される。しかし江戸時代に福井藩主などの力で再興した。一時、天台宗に属していたが1878年に浄土真宗誠照寺派として独立する。

(四足門。1779年に再建されたもので左甚五郎作の「駆出しの竜」などが有名である)

(駆出しの竜。1862年の火災の際に水を吐いて門を守ったという伝承が残る)

(親鸞の像)

(1846年に建てられた鐘楼。鐘は太平洋戦争中に一度供出されたが門徒の懇願により戻されている)

(1877年に再建された御影堂)

(阿弥陀堂(本堂)。本堂の方が御影堂より小規模だった)

(御影堂と阿弥陀堂)

感想:四足門の造りの細かさには感動した。駆出しの竜はあまりに精巧なため鳥も恐れて近寄らなかったというのも納得できる。


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西光寺(一向一揆の拠点の一つ)

住所:福井県鯖江市杉本町31ー42-1

 浄土真宗本願寺派。本願寺7世存如が創建した。本願寺の血縁寺院として重要な地位を占めたため一向一揆に巻き込まれ一時は朝倉氏により越前を追われる。1567年に朝倉氏と和議が成立して越前に戻った。
 しかし1573年に朝倉氏が織田信長によって滅亡すると当寺は一向一揆の拠点の一つとなってしまい、住職が一揆勢を率いて戦い戦死、寺も兵火で焼失してしまう。1595年、現在地に再建された。

(表門。1674年、福井藩の支藩・吉江藩が廃藩になった際に陣屋の門を移築したもの)

(親鸞の像)

(本堂)

(存如の像)

(宝物殿だと思う)

感想:前日は何かの行事があったらしく出店のあとがあちこちにありました。
 境内に入ると地元の方に「朝からご苦労さん!」って言われた。まあ、趣味なので・・・。


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賀茂神社(護良親王所縁の神社)

住所:福井市大森町

 祭神は別雷神、大國主神、玉依姫命、伊賀古夜比売命。717年、広部民部が京都賀茂両社の三種の神器を当地に祀ったことが始まりと伝わる。天慶年間(938~947年)、多田満仲が雷神社と名付け、それがのちの賀茂神社になったと言われる。
 南北朝時代には護良親王が訪れ寄進し、戦国時代には朝倉家から諸役免除を受けた。江戸時代に入ると領主の参詣が代替わりごとに行われている。

(大鳥居)

(参道)

(拝殿。左右に並ぶのは生まれた干支ごとの守護社)

感想:由緒ある神社なのだが、駅から離れた場所にあるため誰もいなかった・・・。土砂降りだったせいもあるのだろうが。


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