しまなみ海道史跡巡り2009・愛媛県側のみ(2日目:鶴姫公園・大山祇神社・村上雅房の供養塔)

 5月4日(月)、テントの中で目が覚める。足が・・・痛い。しかし動かないことには始まらないので、テントを畳んで出発。

9.鶴姫公園・・・今治市大三島町宮浦9099-1にある。瀬戸内のジャンヌダルクこと鶴姫にちなんだ公園。鶴姫は僅か16歳で陣代として大内の水軍との戦い、勝利を納めている。しかし18歳(1543年)の時に戦いで勝利したものの、続く戦いの中で兄や恋人・安成を失い、嘆き悲しんで自殺した。
 後藤久美子がドラマで演じていたのを思い出した。
 鶴姫の銅像は大山祇神社の近くにもあり、合わせて4体くらいあったと思う。人気が高いなあ。

10.大山祇神社・・・大三島町宮浦3327にある。鶴姫公園のすぐ側。伊予一宮。古来より「日本総鎮守」と称されたほど格式の高い神社。宝物館には価値ある武具類がずらりとある。
 いやはや、すごい人だった。さすが「日本総鎮守」。宝物館は源平から江戸までの名のある人物の刀や鎧が多数あった。ここの目玉は義経の鎧らしい。見てもよう分からんので適当に眺めて終わったけど。

(樹齢2600年の楠)

 ここから昨日通ったコースを戻らないといけないので、気合いを入れて山越え。でも、来た時より上りが少なくて大したことなかった。助かった・・・。
 そのまま伯方島へと戻る。途中の道の駅で昼食にしたかったけど、ちょうど昼時でどこも一杯。我慢してこぎ続ける。橋を渡るためのアップダウンが辛い><

(大三島の多々羅キャンプ場付近で見た多々羅大橋と生口(いくち)島)

 我慢出来なくなって伯方島のお好み焼き屋に入った。広島風お好み焼きと魚介類を食った。ここもうめ~。

11.禅興寺・・・今治市伯方町木浦3645にある。能島村上家の祖・村上雅房の開基と言われている。近くにある雅房の供養塔の後ろには水軍のシンボルである楠が植えられ、現在は高さ16メートルにもなり、市指定定年記念物になっている(伯方町指定だったから合併後も今治市の指定になっているだろうという勝手な推測で書いている)。
 ここでお寺の奥さんに「どこから来たんですか?」と聞かれたので、愛知県です、と普通に答えると、
「ええ!? 愛知県からですか!?」
 驚き方が尋常じゃなく何か勘違いされているようだったので急いで、
「いえ、車で今治市の四国本土側まで来て、そこからレンタサイクルです」
 と、否定すると、「ああ」という感じで納得されたようだった。三段変速がついているとは言え、愛知県からママチャリで来る人なんて、多分ほとんどいないですよ・・・。
「自転車で廻っている人って結構多いんですか?」
 この辺りは主要コースから外れているので、自転車で廻っている人が珍しいのだろう。
「ええ、結構おられますよ」
「そうですか。良かったら雅房公のお墓も見ていってください」
 そういって指されたところに巨大な楠が見えたので、一発で分かった。お礼を言って
寺を見た後、お墓に参って次の目的地に行った。

12.伯方ふるさと歴史公園・・・今治市伯方町木浦546にあるが・・・現場見て行く気無くした。
 自転車でふらふらになってる状態で、こんなところまで行けるか~!

 諦めて、そのまま四国本土を目指した。ここからが本当にきつかった。体力残ってないし、足は痛いし。それでも意地になって自転車から降りることだけは絶対にしなかった。子供に抜かれる体たらくだったけど。
 そして事故もなくサンライズ糸山に到着。自転車を返して、数時間休んだ後、愛知県に戻った。

(さよなら、しまなみ海道)

 翌日は無理が祟って、風邪引いた。そりゃそうなるわな、普段運動してないのにいきなりだもんな。

感想:大した数の史跡は行けなかったけど、たまにはこういうのもいいかな。ただ当分はいいや・・・。とにかく疲れた。

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しまなみ海道史跡巡り2009・愛媛県側のみ(1日目:来島城・宮窪城・甘崎城・能島城)

 2009年5月3日(日)、GWを利用して愛媛県に行く。今回の旅は人気のある自転車で観光をするというもの。
 8時半にサンライズ糸山に到着。すでにレンタサイクルを借りるための行列が出来ていた。

 残り5~6台というところでレンタサイクルを借りることが出来、何とか無事に出発。

1.来島城・・・今治市来島にある。あるというか島全体が城跡。来島村上氏の本拠地。波止浜港から5分で渡ることも出来るが、時間がなかったため橋から遠望しただけで終わった。

(上記の写真と同じような場所から北東を見た風景。来島城とは関係ない)

・よしうみいきいき館・・・今治市吉海町名4520-2にある。本日はちょっと早めだけど、ここで食事。11時前なのに、人でごった返していた。
 料理はとにかく「旨い!」の一言。特にアジとタコが最高だった。


2.田中神社・・・今治市吉海町にある。村上水軍の氏神。村上義弘の奉納した武具・水軍船法の巻などがあるらしい。
 自転車で走ってたらたまたま見つけた。こういう思わぬ発見をするのが自転車観光の醍醐味(らしい)。

(移動中に見かけた潮干狩りの風景)

・よしうみバラ公園・・・今治市吉海町福田1292にある。引率者が「バラのアイスが食べたい」ということで寄った。アイスは旨かったけど、時期が悪いせいかバラはほとんど咲いてなかった。

 ここから次の宮窪町までの道が上り。今治側からだと第一関門となる。きつい><

3.幸賀屋敷・・・今治市宮窪町山野にある。宮窪小学校の敷地内?になるのかな。能島村上氏の当主が住んだ館跡と推測されるらしい。
 分からんでから探し回った。近所のスーパーの方に聞いてやっとたどり着いた。

4.宮窪城・・・今治市宮窪町山野にある。幸賀屋敷の道を挟んで向かい側の丘。能島来島氏の拠点の一つだったらしい。
 近所の方に訪ねたところ、丁寧に案内してくださった。案内してもらっている最中、
「どこから来たんだ?」
「愛知県です」
「はぁ!?」
 呆れた顔をされてしまった。今、戦国ブームだから、このくらいの城に行くのは普通ですよ、って説明しようかと思ったけど、面倒だからやめた。

(曲輪らしきものの一部)

 全景を写したかったけど、引率者に「もういいじゃん」って言われたので諦めた。

5.村上水軍博物館・・・今治市宮窪町宮窪1285にある。村上水軍に関係した文献・鎧などを展示。体験コーナーもあり。村上水軍グッズも購入できる。
 GWで鎧着用体験コーナーは60分待ち。えらいことになっとるなあ・・・。

(村上景親の像と小早船)

6.能島城跡・・・今治市宮窪町宮窪にある。大三島近くに浮かぶ島。能島村上氏の本拠地。芸予諸島を東西に通過する際の最短コースの喉元にある。

7.見近城・・・今治市宮窪町にある。大島と伯方島の間に浮かぶ城。大島大橋の途中にあり、降りることも出来る。
 写真は大島大橋の上から覗いたもの。

 伯方島の史跡巡りは翌日に回して大三島に渡る。

8.甘崎城・・・今治市上浦町甘崎にある。日本最古の水軍の城らしい。ネットで調べたら、藤堂高虎の弟の墓もあるらしい。
 干潮時には渡れるようだが、残念ながら時間帯が違っていたので、対岸から眺めることしかできなかった。

 ここから次の目的地である大山祇(おおやまづみ)神社のある宮浦地区を目指すのだが、ここがきつかった>< ものすごい遠回りして海岸沿いを行くか、山越えをするかの二択なのだが、遠回りのコースに見たいものがなかったので、山越えに挑戦した。2~3キロくらい続く上り坂は本当に辛かったよ・・・。しかも16時45分に大山祇神社に着いたら宝物館が閉まってるし。
 この頃から気温が下がってきて、かいた汗にも熱を吸い取られて寒気がしてきた。こりゃ風邪引くわ、と思い、史跡巡りは中止。急いで銭湯を探して入った。
 それからキャンプ場に行くと、疲れていたので飯もそこそこに寝た。

感想:1日目でこのきつさかよ、と思うくらい体力の無さを感じた。明日はもっと不安。天気が悪くて写真がぱっとしないのが残念だったが・・・太陽のせいで余計に疲労していたと思うと、どっちが良かったのかよう分からん。

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四国一周史跡巡り(4日目:湯築城・伊予松前城・大洲城・清良神社)

 平成20年4月29日、今日も8時頃に出発。昨日の夜はまだまだ元気だ、なんて思っていたけど、朝起きるとさすが疲れを感じてきた。
29:湯築城・・・愛媛県松山市道後公園にある。伊予の戦国大名・河野氏の本拠地。河野氏は長宗我部氏と伊予の支配をめぐって対立したが、1585年についに降伏。しかし同年に四国征伐があって、河野氏は小早川隆景に攻められ開城し城を去った。その後、隆景や福島正則が一時、利用したが、1588年に廃城となっている。
 土塁などの遺構が残っており、整備も行き届いている。資料館もあったが、開館前に訪れたために、見ることが出来なかった。次に来たときに入ってみよう。隣に道後温泉があるから、また来ることもあるだろうし。

30:荏原城(えばらじょう)・・・愛媛県松山市恵原町にある。河野氏の重臣・平岡氏の居城。四国征伐で河野氏が改易となったため、平岡氏は毛利氏の家臣となり、城は廃城となった。
 周りに水堀などが残っており、城があったことをうかがわせる。小規模な城なので写真をさっと撮影して終了。

31:伊予松前城(まさきじょう)・・・愛媛県伊予郡松前町筒井の東レ愛媛工場の正門の道を挟んで向かい側にある。南北朝時代に築かれた城で、城主が度々変わり、文禄・慶長の役の最中に加藤嘉明が城主となる。1603年に嘉明が松山城を築城しそちらに移ったため、廃城となった。
 塙団右衛門のことが書いてある案内板があったので、何かと思って読んでみると、団右衛門が嘉明と喧嘩をして城を去るときに、城門に『遂に江南の野水に留まらず、高く飛ぶ天地一閑鴎(野水を見限った鴎は天高く飛ぶという意味)』という詩を張りつけていった、という逸話がこの城で行われた、とのことだった。そっか・・・。ここだったのか。
 車を停めるところが無かったので、東レの方に頼んで工場の駐車場に停めさせてもらいました。ありがとうございましたm(._.)m

32:大洲城・・・愛媛県大洲市大洲にある。南北朝時代に築かれた。宇都宮氏の城だったが、戦国・江戸時代初期にめまぐるしく城主が変わり、最終的には加藤貞泰が城主となり、明治維新を迎えた。2004年に復元された天守、現存する南隅櫓などがある。
 天守閣は良い形で復元されており、雰囲気が良い。しかし今日も暑いなあ・・・。

33:曹渓院・・・愛媛県大洲市大洲にある。大洲城主・加藤家の菩提寺。岐阜県の黒野、鳥取県の米子、と貞泰と移封と共に移動し、最終的にここ大洲市に落ち着いた。
 お墓の前の門が閉まっていたので、お寺の方に許可をいただいて開けていただいた。

34:法華寺・・・愛媛県大洲市西大洲甲にある。ここには大友氏・長宗我部氏・豊臣氏に翻弄されて最期は秀吉の家臣・戸田勝隆に殺された西園寺公広の墓があった。しかし戦後になって西予市宇和町の光教寺に移されている。
 曹渓院のすぐそばなので行ってみた。お墓跡までご案内してくださったお寺の方、ありがとうございましたm(._.)m

(跡地。周りのお墓は家臣のものでしょう、とのお話だった)

35:臥龍山荘・・・愛媛県大洲市大洲にある。庭が見事なことで有名・・・なのは、どうでもよく、ここは藤堂高虎の家臣・渡辺勘兵衛の屋敷跡と聞いて寄ってみた。
 受付の女性の方が非常に詳しく臥龍山荘について説明してくださり、この近くには今でも「勘兵衛」と呼ばれる地区があるとのこと。
 ちなみに大洲城・曹渓院・法華寺・臥龍山荘はまとまって存在しており、歩いても行ける(私は無駄に一回一回車で移動したけど)。

36:光教寺・・・愛媛県西予市宇和町卯之町にある。34の法華寺から移された西園寺公広の墓がある。移された理由は西園寺氏の居城が宇和町にあるのと光教寺が西園寺氏の祈願寺だった関係らしい。
 西園寺公広の墓は丁寧に祀られていた。近くに黒瀬城があって撮影しようと思ったが、場所がどこか分からなかったので諦めた。

(西園寺公広の墓)

(光教寺のある中町の風景)

37:大森城・・・宇和島市三間町小沢川にある。土居清良の居城。清良は伊予侵略を狙う長宗我部軍と戦い、複数に渡る攻撃を耐え見事撃退した名将。四国を支配した長宗我部元親も清良の領地には手を出せなかった。四国征伐後は隠居し、藤堂高虎の誘いを断って領民と共に暮らした。
 大森城の場所を近所の方に聞いたところ、「最近、登る人間はいない。道も分からなくなっており危険だ」と注意された。もともと行く気はなかったので、場所だけ確認して遠くから写真を撮って終わった。

38:清良神社(せいりょうじんじゃ)・・・愛媛県宇和島市三間町土居中にある。名前の通り、清良を祀る神社。

39:竜泉寺・・・愛媛県宇和島市三間町土居中。清良神社の隣にあり、土居清良の霊廟がある。
 近くでフキを獲られていた方の話によると、最近、霊廟がすべて寄付で350万円かけて立て直されたそうだ。そんなに都会でもないのにそれだけの寄付が集まると言うことは、今でも尊敬されているんだな・・・。

 これで史跡巡りを終えて宇和島市内のホテルに行こうと思ったが、まだ少しだけ余裕があったので、明日行くつもりだった宇和島市内の史跡も行っておくことにした。

40:和霊神社・・・愛媛県宇和島市和霊町にある。ここは伊達秀宗の家臣・山家(やんべ)清兵衛を祀る神社(山家清兵衛についての詳しい内容は伊達秀宗の項をご覧ください)。
 ここはとにかく敷地が広く立派な神社で驚いた。怒りを鎮めるための神社というので、よく街の一角にある神社を想像していたのに。社務所で神社が立派な理由を聞くと「秀宗が清兵衛を非常に恐れたのと、領民から慕われていたため」とのこと。
 ここにあった観光案内マップを見た際、長宗我部元親が戸次川の戦いで負けた際に撤退した場所である日振島や、一条兼定の墓がある戸島などに宇和島港からフェリーで行けることを知った(二ヶ所とも一応、宇和島市になる)。しかし半日は拘束されちゃうから時間的に無理。また宇和島に来た際に寄ってみよう・・・(っていつのことやら)。

41:等覚寺・・・宇和島市野川甲にある。宇和島藩主の菩提寺で秀宗や秀宗の母の墓などがある。
 藩主の菩提寺なだけあって歴史的な重みを感じさせるお寺だった。

42:大隆寺・・・愛媛県宇和島市宇和津町にある。ここにも宇和島藩主や一族の墓がある。この寺の横には和霊神社に祀られている山家清兵衛の霊廟もある。
 ここは等覚寺と比べると暗い雰囲気がした。周りに林があるためだろうか・・・。山家清兵衛の霊廟は近寄りがたい雰囲気があった。

 これで今日の史跡巡りはお仕舞い。そのまま宇和島駅前のホテルに行ってゆっくりした後、寝た。

感想:今日は結構な数の史跡を廻った。宇和島と松山って結構離れているんだな・・・。疲労はこの日がピークだった。平地を歩くだけで息が乱れるし。まあもともと無理な旅行なんだから仕方がないけど。
 でも、いよいよ明日からはメインの高知県。長宗我部関係の史跡に触れれば、きっと気力もアップして疲労も吹っ飛ぶだろう。楽しみだなあo(^ー^)o

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