住所:愛知県犬山市大字犬山瑞泉寺7
臨済宗妙心寺派。日峰が弟子の蜂屋玄瑞に岩の突端を打たせたところ泉が湧き出た。そこで玄瑞の「瑞」と泉を合わせて瑞泉寺と名付け1415年に創建している。
1565年、織田信長が犬山城を攻めた際、兵火で焼失したが、信長より朱印状を得て再建した。その後、豊臣秀吉や尾張徳川家の庇護を受け、最盛期には塔頭は二十四ヵ寺以上もあったという。現在は塔頭が六ヶ寺残っている。
(1494年に建立された鐘楼。1565年の犬山城攻めで焼失したのかどうかは不明。三猿は左甚五郎の作と伝わっている)
(本堂。行事の最中だったので遠くから手を合わせるだけにしました)
感想:裏門の歴史を知らずに行ったため、他の場所を撮った写真に写り込んでいたものをトリミングしました。